ペシペシせんといかんの?本当?

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Food series: Youshoku (hambaaga + ebi furai + ebi cream korokke). Nishinomiya. Caju©2023


2026年10月

ペシペシせんといかんの?本当?

最近日本で日本人に「ブラジルの田舎に行くと、オンサと言うネコ科の猛獣がいるので、藪や森林に入るときは長い棒で前方を「ペシペシ」叩きながら進まないと襲われかねないと言った記事を見たけど、先生、怖い所にお住まいですね」と言われました。えええ〜。そんな話が日本では流通しているのかとビックリした次第です。外国人からみたブラジルの(良い)印象(註1)は自然の美しさ(特にアマゾン)、文化の多様性と人の温かさ、生き方の豊かさが挙げられるようです。そして一般的な日本人のブラジルのイメージはサッカー、カーニバル・サンバ、暑い、ビーチ、リオ、陽気で身体能力が高い人々、コーヒー、アマゾンといった所でしょう。印象と実際が異なると、前出のオンサ(onça)の話に行き着くのですね。面白いので代表的な勘違いや誤報を幾つか調べてみました。ブラジルに在住されている読者様にとってはバカな話にうつるかもしれませんがお付き合いいただけたら幸いです。

  • 註1:日本人にとって悪い印象は治安が悪い、時間感覚がルーズ、手続き・行政が複雑、社会格差の大きさ、ポルトガル語の壁が高いがあげられる。

1. 田舎の藪は棒で「ペシペシ」叩かないとオンサ(ジャガー/ピューマ)に襲われる:ジャガー(Panthera onca、onça-pintada)もピューマ(Puma concolor、onça-parda)もサンパウロを含むブラジルにいますが、人を積極的に狩ることは皆無です。人を避ける夜行性の動物で、「藪に入るたびに前方を叩かないと襲われる」という運用は、現地の農村・牧場・観光ガイドの標準ではないです。ヘビ対策の「杖で草を払う」話と、大型ネコの存在を混ぜた誇張です。

2. ピラニアpiranhaは人や牛を数分で骨にする「人食い魚」:映画とセオドア・ルーズベルトの1913年記述が原型です。あの「牛が一瞬で骨になる」場面は、網で閉じた水域に飢えたピラニアを集めた見せ物だったことが知られています。実際の咬傷の大半は1回のかみつきで、繁殖期の巣防衛や、餌の投棄で慣れた個体によるものです。生きた大型動物を群れで食い尽くす現象は科学的に確認されていません。

3. アマゾンは無人の「緑の地獄」=手つかずの原始林:「人のいない密林」というイメージは、16世紀以降の疫病で先住民人口が崩壊したあとにヨーロッパ人が見た光景が固定されたものです。近年の考古学では、少なくとも1万3000年前から人がおり、テラ・プレタ(terra preta、人為的黒土)や大規模な岩絵群など、農耕・定住の痕跡が広がっています。「無人の処女林」は歴史的にも生態学的にも不正確です。

4. アマゾンは「地球の肺」で、世界の酸素の約20%を供給している:環境キャンペーンでよく使われる数字ですが、成熟した熱帯雨林は光合成で出した酸素のほとんどを、分解・呼吸で消費します。純増分はごく小さい、というのが現在の標準的な理解です。アマゾンの地球規模の重要性は酸素供給量ではなく、炭素貯蔵、水循環、生物多様性にあります。「肺」という比喩が数字まで一人歩きした例です。

5. 街や道にワニがいる/川に近づけばすぐワニに食われる:アマゾンやパンタナールにカイマン類は多いですが、都市部の路上を歩く存在ではありません。観光用の餌付けポイントや乾季の水たまりに集まる映像が、「どこでもワニ」に一般化されています。人への攻撃はゼロではありませんが、「川=即捕食」ではありません。

6. ブラジルの公用語はスペイン語(または「ブラジル語」):外国人がブラジル人に言いがちな定番の一つです。公用語はポルトガル語です。スペイン語圏に囲まれていること、ラテンアメリカを一括りにする報道、さらに「ブラジル語を話すの?」という言い方が重なって定着しました。

7. 首都はリオデジャネイロ:観光写真・カーニバル・キリスト像・コパカバナが「ブラジル=リオ」を作った結果です。首都は1960年からブラジリアです。リオは旧首都で、政治の中心ではありません。同じ系統で「出身はリオかサンパウロか」と聞くのも、26州+連邦区がある国を2都市に縮めた誤解です。

8. ブラジル人はみんなサンバsambaを踊り、国全体がカーニバル状態:リオのサンバ巨大パレードが日本のテレビに載り続けたため、「サンバ=羽根とタンガの乱舞」が国全体の日常に見えるようになりました。実際のサンバの中心は、少人数で輪になって奏でるホーダ・ジ・サンバ(roda de samba)の方が生活に近いです。カーニバル自体も州ごとに中身が違い、サルヴァドールはアシェ、他地域は別形式です。全員が踊れるわけでもありませんし、カーニバルが好きな人口は全体の1/3に過ぎません(註2)。加えて日本では、かつてのテレビがサンバとマンボ・メキシコ風衣装を混ぜて紹介したため、「テンガロンハット+マラカス=サンバ」という二次誤報まで生まれました。

9. フェイジョアーダfeijoadaは「奴隷が残飯で作った国民食」:黒豆と豚の部位を煮込む料理を「農場主が取った残りを奴隷が工夫した」と説明する話は、日本の紹介文でもよく出ます。しかし起源は単純な「奴隷の発明」ではなく、イベリア半島の豆と豚肉の煮込み(favadaファバーダなど)が、ブラジルで黒豆に置き換わったとする説が有力です。いまも水曜日・土曜日のランチという「特別な日の料理」であり、毎日の主食は普通の豆(フェイジョン)と米、arroz e feijãoです。物語としては強く、食の実態としては粗い説明です。

10. ファベーラfavela=都市全体が無法のスラム/入ったら必ず襲われる:リオの丘の上の密集住宅の映像が、ブラジル都市の全体像として流通しています。ファベーラ(近年はコムニダージcomunidadeと呼ばれることも多い)は確かにインフラ不足や組織犯罪の問題を抱える地区ですが、全国に1万を超える多様な居住地で、商店・学校・医療機関・住民組織もある生活空間です。「丘=即死」「市内は全部スラム」は、観光リスク情報と映画のイメージが合体した誇張です(註3)。危険な地区があることと、都市全体がそれであることは別です。

  • 註3:意外とブラジル人でもこの印象を持ってる人達が一定数いるのも事実。高い目の社会階層に住んでいるので社会の実態を知らない。

『当地に住んでいるとどうして?になるような話だけど、これらが外国からみたブラジルの一例のようですな。アマゾン関連は「関心は高いが、映像・冒険譚・古い探検記が先行して、現地の頻度や生態が伝わっていない」典型。場所の誤報は「リオに国を縮める」、文化の誤報は「祭りのハイライトを日常にする」形が多い。実在する要素を極端な頻度に引き伸ばし、勘違いになる。』

それでは勘違いのひとりごとです。勘違いが成立するのは、知識がゼロだからではありません。複雑な対象を、少数の強い印象で代用する圧縮が先に走るからです。人は全体を見るより、あとから思い出しやすい断片で全体を代表させます。ブラジルならサッカー、カーニバル、アマゾン、治安です。いずれも実在しますが、出現頻度、地理的分布、日常性は省略されます。これが第一の機制、代表性の歪みです。強い例が弱い例を飲み込み、例外が類型になります。距離が遠い対象ほどこの圧縮は荒くなり、直接経験が少ないほど、メディアの一場面が「国」になります。

第二は物語化です。「藪を棒で叩かないとオンサに襲われる」「ピラニアが牛を瞬時に骨にする」は、注意・行動・結果が一列になります。条件分岐「稀である、人を避ける、特定の水位や繁殖期に限る」は列を折るので、伝達に負けます。正しさより、因果が一本に見える話が残ります。探検記や映像はこの一本化を加速します。警告として完成している話ほど、訂正は「興ざめ」に聞こえます。

第三は媒体の選択圧です。映像と見出しは極端を選びます。リオのパレードは載り、少人数のホーダ・ジ・サンバは載りにくいです。丘のファベーラは載り、普通の街区は載りにくいです。残ったハイライトが「国のかたち」になります。発信側の悪意というより、目立つものの生存競争の結果です。受け手も、既に持っている型に合う話だけを拾い、合わない話は忘れます。確証バイアスは、新しい情報の入口で働きます(註4)。

第四は訂正の非対称です。型が一度入ると、反証は例外として処理されます。「観光客向けだ」「奥地では本当だ」と言えば核は残ります。勘違いの本体は個別事実の誤りというより、一般化の規則そのものです。事実を一つ足しても、規則が変わらなければ同じ話が再生産されます。社会的には、共有された型の方が会話のコストが低いです。正確さより、通じやすさが優先されます。

『勘違いを「無知」と呼ぶと対策を誤る。足りないのはデータ量ではなく、縮約を解除する手続きである。何が実在し、何が頻度の話かを分けること。機制に対抗するには、物語より条件を返すほかない。』

この様に、不用意に流通している情報、特にテレビに代表されるオールドメディアに載るようなモノは注意が必須でしょう。やらせが多いし。医療関係の情報も然りです。このコラムの25人の読者様には筆者がまたこの手の警告をやってる、ネタ切れか?と思われても仕方ないですかね。わざと勘違いさせる誤報(カッコ良く言うと「フェイクニュース」、はっきり言うと「嘘」)が蔓延している世の中です。トホホ…


 

当たり前って説明しないと分からないのですかね…

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Food series: Tsukune (kujira-bacon). Kaizuka. Caju©2025


2026年09月

当たり前って説明しないと分からないのですかね…

ブラジルバレーボール連盟(CBV)が、女子カテゴリーの出場資格としてSRY遺伝子検査を導入すると発表しました。国際オリンピック委員会(IOC)が今年3月に示した「女子カテゴリー保護政策」と、国際バレーボール連盟(FIVB)の方針に完全に合わせたものです。検査は血液や口腔粘膜の採取で行われ、結果が陰性(SRYなし)の選手が女子として出場できます。例外は極めて稀な性分化疾患で、テストステロンの影響が医学的に出ない場合に限られます(註1)。この方針はすでにFIVBの国際大会で適用されており、ブラジル国内のスーパーリーガをはじめとする主要大会でも、来シーズンから本格的に実施されます。

  • 註1:性分化疾患(DSD、Disorders of Sex Development または Differences of Sex Development)の一種。この場合の例外は完全型アンドロゲン不応症(CAIS) や、テストステロンによる同化・パフォーマンス増強効果を受けない一部のDSD(完全型性腺形成不全(Swyer, 46,XY)とLH受容体不活化・17α-OH欠損・StAR欠損 等の上流合成欠損)。

『SRY遺伝子って何じゃい、という声が聞こえてきそうなので、ここでもう少し丁寧に説明します。』

SRYは人間のY染色体上にある遺伝子で、「Sex-determining Region Y」の略です。胎児が母親の胎内で6〜7週目くらいになった頃、この遺伝子が働き始めます。すると生殖腺が精巣(睾丸)に分化し、そこから男性ホルモンであるテストステロンが分泌され始めます。このホルモンの働きによって、体は男性の方向へと本格的に発達していくのです。一方、SRY遺伝子がない場合は、精巣はできず、生殖腺は卵巣に分化し、体は女性の方向へと進みます。つまり、SRY陽性=生物学的男性、陰性=生物学的女性、という大まかな線引きです。ヒトの細胞内には46本(23対)染色体がふくまれており、父親から23本、母親から23本を受け継いだものです。そのうち22対が常染色体で1対が性染色体です。X染色体が2本あると女性、X染色体1本とY染色体1本で男性というのはこのコラムの25人の読者様も学校で習ってますよね。

従って、46XYなら陽性、46XXなら陰性です。この遺伝子検査は、簡便で、結果も明確です。採血や口の中を軽くこするだけで済み、選手への負担は小さい。性自認やホルモン値ではなく、「そもそも男性として発達するスイッチが入ったかどうか」を生物学的に直接確認する検査だと言えます。

近年、diversityやinclusionの名のもとに、トランスジェンダーの選手が女子カテゴリーに参加する例が増えました。テストステロンを抑える治療を受けても、思春期に男性として発達した体の優位性は残り続けます。骨格の大きさ、筋肉量、心肺機能、骨密度、腱の強さ、重心の高さなど、いわゆる「legacy効果」と呼ばれる不可逆的な差です。これらは薬で消せるものではありません。医学的・科学的にこれは否定できない事実です。男子カテゴリーで平凡な成績だった選手が、女子に移ると突然トップクラスになる事例が実際に複数あります。これでは、生まれながらの女性選手(46XX)が不利になり、競技の公平性が損なわれます。結果として、シス女性(註2)に対する一種の差別になっている、というのが今回の方針変更の背景です。

  • 註2:シスジェンダー(Cisgender): シス(cis-)はラテン語で「こちら側の」という意味を持つ接頭辞、トランスジェンダー(Transgender)  trans- 「あちら側の、越えた)」の対義語。生まれたときに割り当てられた性別(身体の性)が女性で、自身の性自認(心の性)も「女性」である人のこと。つまり、世間に圧倒的多数存在する「普通の女性」。ジェンダー=社会・文化的な性別。

『丸に角はない。昼が明るいのは太陽が出ているから。男女は生物学的に体が違うから、スポーツは男女に分けている。こんな当たり前のことを、いちいち説明しなければならなくなった世の中ですな。』

スポーツのカテゴリー分けは、もともと「公平性」を守るために存在します。男性と女性では、平均的に筋力や持久力、骨格構造に明確な差があります。この差を無視して「自認」だけで同じ土俵に乗せれば、競技は成り立ちません。反対する側は「遺伝的な線引きは差別だ」と主張しますが、競技人口の圧倒的多数が納得できる代替案を提示できていません。以前から使用されている「テストステロン値を一定以下に保てばよい」という案も、すでに科学的に不十分であることが示されています。思春期以降の身体的変化は、ホルモン値を下げただけでは元に戻らないからです。

一方、米国のWNBA(全米女子プロバスケットボール協会)は、性別の自己申告だけで出場資格を得られる規約のままです。そのためトランスジェンダーの選手が出場し、シス女性選手の間に強い違和感と反感が広がっています。そこに元NBA選手のエネス・カンター・フリーダムとロイス・ホワイト(註3)が、2027年のWNBAドラフトへの参加を表明しました。二人とも「自分は女性だと自認する」と宣言したわけです。これは、WNBAの労使協定で「女性」の定義や参加資格が曖昧な点を指摘し、皮肉を込めた行動です。規約通りに運用するなら二人も出場できるはずだ、という挑発です。実際にはWNBA側は「単なる宣伝行為」として相手にしない方針で逃げたいようですが、規約の曖昧さをここまで露呈させた意義は大きいと言えるのではないでしょうか?

  • 註3:Enes Kanter FreedomとRoyce White。NBA(全米プロバスケットボール協会)のプロ選手、既に引退している。

『さあ、WNBAはどう対応するのか。みもの(見物)ですな。性別を人権・インクルージョン寄りの陣営のしたいとおりにしておけば、こうした「試金石」が次々と出てくるのは当然の帰結でしょうが。いつものようにダブルスタンダードを出してくるんだろうけど。』

特にスポーツの公平性は、生物学的事実に基づくべきと筆者は思います。自認や法的性別を優先すれば、競技は崩壊します。医師として、患者さんの健康を守る立場から見ても、科学的根拠を無視した「inclusion」は結局、弱い立場の人を傷つける結果を招きます。特に女子スポーツは、女性が安心して全力を出せる場であるべきです。その場を守るために、SRY遺伝子検査という客観的で簡便な方法を導入したCBVの判断は、妥当だと考えます。感情論やスローガンではなく、事実とデータに基づいてルールを作る。それが本来の姿ではないでしょうか。

『筆者はトランスジェンダーなど性自認が一致しない人を否定や揶揄している訳ではありません。一般人口と同等に人権があり、人間として行動するのであれば人間として扱われるべきであると考えます。文句を言われる前に明示しておきます。』

このコラムの25人の読者様にとって、当たり前のことは当たり前ですか?当たり前は何であるか分からなくなってますか?当たり前は当たり前である事が当たり前でないと思いますか?当たり前でない事が当たり前ですか?さあどうする?


誰も好んで馬鹿になる生活している訳ではないですよね?

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Food series: Anago no Tempura. Izumisano. Caju©2024.


2026年08月

誰も好んで馬鹿になる生活している訳ではないですよね?

今月は我々の生活に大変身近なツールのため、医療的に考えると大変危険な状況に曝されている事態についてひとりごとしてみます。ウェブなどで大量の情報が出回るようになり、かつ各個人もSNSなどに喜んで個人情報を提供あるいは公表する世の中です。ネットビジネスの稼ぎ頭は個人の情報、好み、動向などを収集し解析し、需要を提案する方式であり、それを支えるのがいわゆる「アルゴリズム」です。つまりアルゴリズムがある個人の一定の関心を認識すると、その関心を満たすコンテンツばかりを提供するようになる。そのため、多様性の観点からみたら完全に一遍に偏った思考になる人間を大量生産している。同じ事の繰り返しばかりしているので馬鹿になる。というのが筆者仮説ですが、この仮説を丁寧に展開してみます。 

まず「アルゴリズム」とは何か、です。アルゴリズムとは、特定の問題を解決したり、ある作業を遂行したりするための、明確に定義された一連の手順や規則の集まりを指します。料理のレシピも広い意味ではアルゴリズムですし、数学の計算手順もそうです。コンピュータの世界では、入力されたデータを決められた順序で処理し、望ましい出力を得るための指示のセットとして使われます。現代のネットサービスで特に問題になるのは「推薦アルゴリズム」と呼ばれるものです。ユーザーが過去に何を見たか、どこをクリックしたか、どれくらいの時間滞在したか、いいねを押したか、といった行動データを大量に集め、統計的・機械学習的に分析して「この人は次にこれが見たいはずだ」と予測し、優先的にそのコンテンツを画面に並べる仕組みです。 

『要するに、あなたが何を好むかを機械が勝手に学習して、あなたが喜びそうなモノばかりを次から次へと差し出す装置ですな。利用者を「快適な状態」にするのだな。』 

利用者がこの「快適な状態」を好む理由は、脳内の報酬系が深く関与しています。人間の脳には、快楽や満足感を生み出す「報酬回路」と呼ばれる神経ネットワークがあります。特に中脳の腹側被蓋野(VTA, Ventral Tegmental Area)から放出されるドーパミンという神経伝達物質が重要な役割を果たします。アルゴリズムが提示する「自分好みのコンテンツ」は、予測可能な報酬として脳に信号を送り、ドーパミンの放出を促します。これにより「快楽」や「満足感」が得られ、利用者はさらにその行動を繰り返したくなります。いわゆる「ドーパミンループ」です。SNSの「いいね」や通知、推薦動画の自動再生などは、この回路を巧みに刺激するよう設計されています。 

『ドーパミンは幸せホルモンと呼ばれているアレだな。「自分にご褒美」ホルモン。脳が喜ぶようにコンテンツが作られているから、ついハマってしまうわけ。薬物依存そのもののメカニズムです(註1)。』 

しかし、このループが繰り返されると、脳は徐々に新しい刺激や多様な情報に対する感受性を低下させます。結果として、単調な情報環境に慣れ、思考の柔軟性が失われていくのです。 

この仕組みがビジネスとして非常に有用なのは、利用者を「快適な状態」に長く留められるからです。自分の好みに合ったニュースばかり出てくれば、ついスクロールを続けてしまいます。自分の趣味に近い音楽動画ばかり流れてくれば、次々と再生してしまいます。企業側から見れば、滞在時間が延び、広告の表示回数が増え、売上につながる。利用者側から見れば、わざわざ探さなくても「ちょうど良いもの」が勝手に出てくるので楽です。双方にメリットがあるように見えて、実は大きな副作用が潜んでいます。 

  • 註1:その証拠に近年精神科の依存症関連外来に「テクノロジー依存症外来」が設置されるようになっている。「ソーシャルメディア中毒」などでウェブ検索すると意外と身近な所でそのような治療サービスが提供されています。

副作用の第一は「多様性の喪失」です。アルゴリズムは「あなたが既に好んでいるもの」を強化する方向に働きます。反対意見や全く異なるジャンルの情報は、クリック率が低いと判断されて優先度が下がります。結果として、画面に映る世界は徐々に狭くなっていきます。ニュースなら自分の政治的立場に近い記事ばかり、音楽なら似たようなメロディや声質ばかり、健康情報なら自分が信じたい治療法やサプリメントの話ばかり、といった具合です。 

『同じ味のおかずばかり毎日食べていると、舌がバカになる。頭も同じですな。』 

第二の副作用は「思考の硬直化」です。人間は本来、異なる意見や予想外の情報に触れることで自分の考えを修正したり、新しい発想を得たりします。ところがアルゴリズムに囲まれた環境では、自分が既に持っている考えを肯定する情報ばかりが届くため、「やっぱり自分は正しい」という確信だけが強まっていきます。これを心理学では「確証バイアス」と呼びますが、アルゴリズムはこのバイアスを人工的に増幅させているわけです。  最近特に顕著なのがAI生成コンテンツです。例えば動画サイトで特定のジャンルの音楽を多数回見ると、すぐに似たテイストの動画が推薦欄を埋め尽くします。そこでジャズから歌謡曲のように極端にジャンルを変えても、声の質感、音階やリズムのパターンが似通ったものが並ぶ。利用者は「自分の好みを理解してくれている」と錯覚しますが、実際には機械が作り出した限られた箱の中でぐるぐる回っているだけです。同じパターンの繰り返しは、脳にとっては刺激が単調になり、情報処理の柔軟性を徐々に奪っていきます。 

『同じ事の繰り返しばかりしていると馬鹿になる、というのは誇張ではありません。脳は使わない回路を刈り込む性質があるから。』 

第三に、「誤算の助長」があります。健康や医療情報も例外ではないので、これは医者として特に気になる点です。ある症状について一度調べると、その症状に関連する特定の「解決法」ばかりが推薦されるようになります。科学的根拠の薄い民間療法や、極端な食事法、あるいは特定のサプリメントの宣伝が優先的に出てくることもあります。利用者は「これだけ情報が集まるのだから正しいに違いない」と思い込みやすくなりますが、実際にはアルゴリズムが「この人はこれに反応しやすい」と判断しただけの結果です。 

では、どうすればよいのか。完全にアルゴリズムから逃れるのは現代ではほぼ不可能です。しかし、意識的に「反対側」を覗く習慣をつけることはできます。ニュースなら普段読まない立場のメディアを時々開く。音楽なら自分のプレイリストとは全く異なるジャンルをあえて検索する。健康情報なら、推薦されたものだけでなく、公式の医療機関や論文データベースを直接当たる。こうした小さな抵抗を繰り返すことで、アルゴリズムが作った箱の外に出るきっかけになります。 

さらに積極的に取り組むなら「デジタルデトックス」が有効です。具体的な方法として、①1日1時間以上の「スマホオフタイム」を設ける(夕食後から就寝前など)。②週末に「デジタルフリー・デー」を作る(SNS・動画を一切見ない日)。③通知をすべてオフにし、アプリの使用時間を制限する機能を利用する。④読書や散歩、対面での会話といったアナログ活動を増やす。⑤家族や友人との「デトックス契約」を結んで互いに励まし合う。これらを実践することで、脳の報酬回路がリセットされ、多様な情報に自らアクセスする力が回復します。 

『便利さに身を委ねすぎると、自分で考える力が衰えていく。便利さと引き換えに何を失っているのか、立ち止まって考えてみるのも悪くないのでは。考えられる間に。』 

ブラジルでも日本でも、スマートフォンの普及とともにこの現象は加速しています。特に若い世代は幼少期からアルゴリズムに最適化された情報環境で育っているため、そもそも「多様な情報に自ら触れる」という感覚自体が薄くなりつつあると思われます。我々の生活がアルゴリズムに支配されている、という表現は少し大げさに聞こえるかもしれません。しかし、画面に映る世界が自分の好みでフィルタリング(註2)され続け、知らないうちに思考の幅が狭くなっている事実は、すでに多くの人に起きていることです。便利な道具を使いこなしつつも、道具に使われないようにする。それが現代を生きる上での、大変重要な知恵なのだと思います。  このコラムの25人の読者様は大丈夫ですか?

  • 註2:フィルタリング:この言葉は元々フィルターする、つまり沪過、濾して要らないモノを取り除くが語源であるが、近年では「インターネット上の有害なサイトにアクセスしないように,閲覧できるものとできないものを分別する仕組みのこと」で使われるが、本稿での意味は元の語源。

 

長いとショボい? ~FIFAワールドカップ2026、48カ国から見える国家の「自己主張」~

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Food series: Teppi no yubiki. Sumoto. Caju©2026


2026年07月

長いとショボい?

~FIFAワールドカップ2026、48カ国から見える国家の「自己主張」~

2026年のFIFAワールドカップは48カ国が出場する過去最大規模の大会です。現在サンパウロでは一昔のような盛り上がりは見ませんが、メジャーなニュースである事は間違いないでしょう。当地に住む筆者も、診療所の合間にテレビやスマホで試合を追いかけていますが、毎回気になるのが試合開始前の国歌演奏です。あの数分間に、その国の歴史や文化、国民の誇りが凝縮されているように感じます。このコラムの25人の読者様も、同じように国歌から何かを感じ取ったことはないでしょうか。

色んな国の国歌を聴いているとふと、こんな疑問が頭に浮かびました。国民1人あたりの平均所得の高い成熟した国と、発展途上や歴史の浅い新興国とで、国歌の長さに違いはあるのでしょうか。歴史が浅く、まだ国家として「これが我が国だ」と世界に強く主張したい国ほど、国歌に多くの物語を詰め込んで長くなるのではないか、という仮説です。

そこで、完全なペアデータが得られた38カ国を対象に、統計的検定を実施してみました。「一人当たりGDP(平均所得)」X「国歌の長さ」の相関を調べて見ました。国歌の長さは公式の演奏時間や歌詞のボリュームを基に評価し、一人当たりGDPは信頼できる国際機関の最新データを用いました(註1)。結果は次の表の通りです。

表:2026年FIFAワールドカップ出場国の一人当たりGDPと国歌演奏時間の相関

統計学的な結果はPearson相関係数:r = -0.2512  ;p値:0.1281になり、弱い負の相関が見られるものの、p値が0.05を上回り、統計的に有意な差には至りませんでした。

『統計学的な有意差がないからといって傾向自体を無視するのはもったいない。ぱっと見でも所得が高い国では時間が1分半以下であるのが見られる。国歌が長い国は高所得の部分に入っていないのも見られる。』

この弱い負の傾向をどう解釈するか。筆者の愚考ですが、以下のような背景が考えられます。多くの発展途上国や、19世紀から20世紀にかけて独立・革命を経験した比較的歴史の浅い国家では、国家としての正統性やアイデンティティを強く世界に示す必要がありました。独立戦争の物語や民族の苦難、領土の主張、未来への希望を国歌にたくさん詰め込みます。だから歌詞が長くなり、複数の節を持つ国歌が多いのです。一方、長い歴史と伝統を持つ国では、すでに国民のアイデンティティが社会に深く根付いており、短く象徴的な国歌で十分に「国らしさ」を表現できるのかもしれません。シンプルであることが、むしろ成熟した強さの表れなのかもしれません。

具体例を挙げますと、ラテンアメリカ諸国の国歌の多くは、独立の英雄や歴史的事件を詳述した長い詩が基になっています(註2)。ブラジルの国歌「Hino Nacional Brasileiro」も、力強い歌詞とメロディで知られ、独立の精神を謳っています。アー長いなと思ったら、まだ半分で同じ長さの折り返しがありますね。対して、日本の「君が代」は古くから伝わる短い和歌を基にし、静かで簡潔です。欧州の古参国も比較的短めの国歌が多い傾向にあります。

『ブラジルに長く住む日本人として、ブラジル国歌の情熱的でくどく長い響きと、日本の簡潔で静かな響きを聞き比べると、両国の国民性の違いがそのまま象徴されているように感じる。「一回言ったらわからんのかい」って。』

もちろん、例外は数多く存在します。国歌の「長さ」の定義自体が曖昧で、国際試合では通常1番や定められた部分だけが演奏されるため、フルバージョンの長さがそのまま「主張の長さ」になるとは限らないのです。また、38カ国というサンプル数も限定的(註3)で、文化・宗教・気候などの他の要因が影響している可能性は十分にあります。それでも、この弱い負の傾向は興味深いものです。国歌は単なる音楽ではなく、その国の「自己紹介文」や「歴史の要約」のようなものです。長い自己紹介が必要な国は、まだ発展の途上で、語るべき過去と未来のビジョンが多いのかもしれません。国民の所得が高い成熟国は、すでに「完成された物語」を持っており、短くても本質が伝わる自信があるのでしょう。

『国歌を聞くとき、ただの儀式ではなく、その国が今どんな「物語」を生きているのかを想像すると、試合の楽しみが倍増する。また、選手やチームスタッフがどれだけ国歌斉唱しているかも興味深い。』

ワールドカップのようなグローバルな場で48カ国の国歌が次々と流れる様子は、まさに世界の多様性の縮図です。統計的に有意でないからといって無意味なわけではなく、人間社会や国家の在り方を考える良い材料になるのと思います。試合を観戦する機会に本稿を思い出していただければ幸いです。

『サッカー見るのに誰もそんな事考えんか。こういうのをIgNobel Prizeイグノーベル賞(註4)のテーマみたいに思えるけど、多分ある程度事実なのでイグノーベル(ignoble)にならんのか。』

註1:本稿の統計解析は公開されている国歌情報および一人当たりGDPデータを基にしたものであり、完全性や客観性を保証するものではない。国歌長さの評価にはウィキペディアに載っているできるだけ各国の公式とされるものを使用した。

註2:ウルグアイ(4分30秒)・アルゼンチン(3分33秒)・ブラジル(3分21秒)・パラグアイ(3分11秒)・エクアドル(3分19秒)といった南米諸国の国歌が公式には数分単位と長大である。

註3:Curaçao、England、Scotlandなどの非主権国家・地域や小規模国・島嶼国では集計データが限定的である。

註4:イグノーベル賞(イグノーベルしょう、英: Ig Nobel Prize)とは「人々を笑わせ考えさせた研究に与えられる賞。ノーベル賞のパロディーとしてマーク・エイブラハムズ氏が1991年に創設した。


小咄:メタンガス怖い

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Food series: Summer Otsukuri. Kaizuka. Caju©2022.


2026年06月

小咄:メタンガス怖い

徳:「あ~あ……はぁぁぁ……。嫌んなるなぁ、もう……はぁぁぁあ……。」
隠居:「これこれ、徳さん。さっきから聞いてりゃ、長屋の軒先が吹き飛ぶよおなデッカい溜め息ばっかりついて。どないしたんや、景気の悪い。」
徳:「あ、ご隠居。いやね、昨日道具屋のせがれにちょっと嫌味言われたんを、思い出しとりましてね。あいつ、人の顔見るなり『おっさん、今日も暇そうやな』て言いやがった。それをな、今朝起きてからも、ずーっと『あいつ、なんであんな事言うたんやろ、許せん、いや、ウチが悪いんか?』てな、ずーっと、グルグル、グルグル頭の中で考えが巡り巡って止まらへんねん。」
隠居:「あぁ、そら『反芻的思考(はんすうてきしこう)』ちゅうやつや。牛が一度飲み込んだ草を口に戻して、クチャクチャやり直す、アレの頭版やな。同じ後悔、同じ心配事を何遍も繰り返す。けどな徳さん、それ、一刻も早く止めんとお前、爆発してまうで。」
徳:「え!? 爆発!? なんです、その物騒な話は。」
隠居:「ええか。人間っちゅうのはな、そうやって頭の中で考えをクチャクチャと反芻しとると、脳みその中でその思考が『発酵』しよるんや。それが腹の方へ降りていって、プクプクと泡を吹きよる。その発酵したガス、これが何や知ってるか? 『メタンガス』ちゅう、ごっつう引火性の高い、恐ろしいガスなんや。」
徳:「め、めたんがす……?」
隠居:「そう。お前さんがさっきから『はぁぁぁ』とついてるその溜め息。あれは落ち込んでるんやない。腹の中に溜まったメタンガスを、身体が慌てて口から排出してんのや! もし溜め息をつかんと我慢してみぃ。お前さん、そのうち『ドカーン!』と腹から爆発して、長屋ごと輪廻の彼方へ吹き飛んでまうで。そやからお前さんは今、『火気厳禁』や。タバコなんか吸うたら、口から火を吹いて焼き鳥や。」
徳:「ひぇぇぇ! メタンガス、めっちゃ怖っ! ご隠居、溜め息以外に、そのガスを逃がす方法は無いんですかい!?」
隠居:「それがあるんや。一番手っ取り早いんはな、『笑うこと』や。『ガハハハ!』と大声で笑うと、腹が動いてガスが安全に抜けていく。そんなに笑われへん時は、もう一つの出口、お尻から『へ』で出すんや。屁を『ブッ!』とひり出したら、脳みそのクヨクヨが音を立てて解決した証拠や。」
徳:「なるほどなぁ! ご隠居、よう分かりましたわ。あ、そうや。さっきのせがれの話を思い出したら、なんや急に腹の底からおかしゅうなってきましたわ。あいつ、人のこと暇人扱いしやがって、自分こそいっつも店先で居眠りしてまんがな! ガハハハハ!」
隠居:「おっ、ええぞ、その調子でメタンガスを出しなはれ!」
徳:「ガハハハハ! あ、笑ったら、今度は腹の下の方が動いてきましたわ。ちょっと失礼して……お尻から、ブッ!!」(大きなおならの音が響く)
隠居:「おぉ、見事なガス抜きや。って、こら徳ッ! お前さん、屁をこきながら、なんで手元でキセルに火ぃ付けて煙草吸おうとしとんねん! 言うた先から火気厳禁やろがッ!!」
徳:「あッ! しもた、引火するッーー!!」(ドンッ!!と大音響)
隠居:「あ〜あ、言うこっちゃないわ。長屋の屋根まで吹き飛んで。徳さん、お前さん、どこまで飛んでいったんや?」
徳:「ご隠居〜! 身体がバラバラになってもて、もう次の世へ、『輪廻』が始まってまいました〜!」
隠居:「アホなこと言うてんと、早よ戻ってきなはれ。」
*******

お粗末さまでした〜。今月は思考が反芻する事態について考えてみましょう。
精神科領域における反芻的思考(英語:Rumination)(以下、反芻思考)とは、過去の出来事やネガティブな感情を解決志向なく繰り返し考え続ける思考習慣を指します。アメリカ心理学会は、これを「他の精神活動を妨げる過剰で反復的な思考」と定義しています。精神科では、うつ病や不安障害の維持要因として重要視され、単なる「考えすぎ」ではなく、病態形成に寄与する認知プロセスです。反芻思考の主な特徴は、持続性・反復性・非生産性です。過去の失敗や人間関係のトラブルを「なぜ自分はこうなのか」「あの時どうすべきだったか」と堂々巡りで考え続け、感情を増幅させます。これにより集中力低下、不眠、意欲減退が生じやすくなります。

臨床的には2タイプに分けられます。一つはリフレクション(Reflection)で、原因分析を通じた適応的な側面を持ちます。もう一つはブルーディング(Brooding)で、自己否定や無力感を強調する非適応型であり、うつ病との関連が強いとされます。症状として、就寝時の反芻による不眠、対人場面後の「ひとり反省会」、ストレス下での感情増幅が典型的です。完璧主義、HSP(註1)、低自尊心、トラウマ体験が素因となりやすいです。

  • 註1:HPS、Highly Sensitive Person、日本語で繊細さん(せんさいさん)。生まれつき感受性が非常に高く、周囲の刺激を過度に受けやすい気質のこと。音や光などの物理的な刺激から、他者の感情や場の雰囲気まで深く感じ取る特徴を持つ。

反芻思考は世界的に観察されますが、文化差が指摘されています。欧米、特に米国・英国では反芻傾向が強く、抑うつ症状との関連が顕著です。一方、日本を含む東アジアでは反芻の頻度は相対的に低く、心理的健康への悪影響が弱い傾向があります。具体例として、米国と日本の大学生を対象とした日常モニタリング研究(註2)では、反芻がウェルビーイング低下と関連するものの、その強度は米国で有意に大きかったです。英国住民の研究でも、反芻・ブルーディングスコアが日本より高く、うつとの相関が強かったと報告されています。

  • 註2:文献:Hu D, Miyamoto Y, Chentsova-Dutton Y, et al. Rumination in daily life is linked to poorer psychological health in the United States than in Japan. Soc Psychol Personal Sci. 2025. doi:10.1177/19485506251407414.

『これらの差は、文化的な感情処理様式に起因すると考えられる。欧米では自己中心的な「What’s wrong with me?」型反芻が主流で悪循環を生みやすいのに対し、東アジアでは状況指向「What’s wrong with the situation?」や集団調和を重視する傾向が、反芻の毒性を緩和する可能性があるのだな。また、PTG(心的外傷後成長)研究では、日米で反芻の役割に時間的差異がみられる。日本人のほうが肯定的心理変化が早い。』

東西どちらも一般的にうつ病患者における反芻の頻度は高く、症状長期化のリスク因子です。日本では生涯うつ病有病率は約15人に1人とされ、反芻がその維持に寄与すると推定されます。反芻思考の問題は、抑うつ・不安の維持・悪化、問題解決能力の低下、睡眠障害、社会機能低下にあります。反芻が習慣化すると注意制御と呼ばれる実行機能が低下し、悪循環(rumination-depression loop)を形成します。うつ病では反芻頻度が高いほどエピソードが長期化・重症化し、自殺念慮リスクも上昇します。また、集中力低下による仕事・学業への影響、人間関係の希薄化、慢性ストレスによる頭痛や消化器障害などの身体症状も問題になります。文化的には、日本人では集団内調和を重視するがゆえに「内省過多」が生じやすい一方、欧米より公然化しにくいため、見逃されやすい点も課題です。

治療方法は認知行動療法の一種、反芻焦点型認知行動療法(Rumination-Focused CBT: RFCBT)が第一選択になります(註3)。その他、マインドフルネス認知療法、問題解決療法、表現性書き出しなどがあり、運動による気分転換、TMS(経頭蓋磁気刺激)などの身体療法も補助的に用いられます。SSRIなどを用いた薬物療法(註4)は併存うつ病に対し有効ですが、反芻そのものへの直接効果は限定的です。重症例では精神科専門医による包括的アプローチが必要です。早期介入により、日常生活機能の回復が期待できます。

  • 註3:RFCBTは、反芻を「習慣」として機能分析し、トリガー特定・代替行動(If-Then計画)を用う。また、抽象的「Why?」思考から具体的「How?」思考へのシフトを促す。この治療によるうつ再発防止効果が確認されている。
  • 註4:SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)は、脳内の神経伝達物質であるセロトニンの量を増やすことで、気分の落ち込みや不安を改善する代表的な抗うつ薬。

『このコラムの25人の読者様、メタンガス発生してませんか?反芻思考は普遍的な認知傾向ですが、適切な理解と介入により管理可能です。症状が持続する場合は、ドカンと爆発する前に専門機関への相談をおすすめします。』


 

歯を抜く者の日

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Food series: Peach (Prunus persica). Hanaoka’s hometown. Caju©2025.


2026年05月

歯を抜く者の日

ブラジルでは4月21日はTiradentesの日でした。毎年この日の前後は22日のブラジル発見記念日や場合によっては宗教的祝日も合わさり、長い連休になります。気候は良いし、旅行に出かけるのに最適な時期です。しかし、このコラムの25人の読者様も元々このTiradentesの祝日って、ただの休みじゃなくて、国民の「記憶」を呼び起こす装置なんだと認識されてますか。

Tiradentes(チラデンテス)とは、誰だったのでしょうか。本名はJoaquim José da Silva Xavier(1746-1792)。ミナスジェライス州の農場で生まれ、幼くして両親を失い、さまざまな職を転々としました。軍人、商人、鉱夫、そして歯科医。歯を抜く仕事から「Tiradentes(歯を抜く者)」の異名がつきました。歯科医といっても、当時は近代的なものではなく、抜歯や簡単な義歯作り、植物療法を組み合わせた実践的な治療者でした。  1789年、彼は「Inconfidência Mineira(ミナスジェライス陰謀事件)」に参加しました(註1)。ポルトガル本国が課す過酷な税金、特に金鉱山への「五分の一税」(註2)に反発した知識人・軍人・商人たちの秘密結社です。啓蒙思想、アメリカ独立革命、フランス革命の影響を受け、ミナスジェライスを独立共和国とする計画を立てました。Tiradentesは熱心な宣伝役で、演説が上手く、同志を増やしました。しかし、密告により計画は頓挫。仲間たちは減刑されたり国外追放されたりしましたが、彼だけが中心人物とされ、「主犯」として1792年4月21日、リオデジャネイロで公開処刑されました。絞首刑の後、遺体は四肢に切断され、各地に晒されました。

『まるで「見せしめ」そのもの。植民地支配の残酷さが凝縮されたような死に様ですな。そしてトカゲの尻尾切りだな。』

  • 註1:Inconfidência Mineiraの詳細は歴史書や公式資料を参照してください。ネットでも多数情報が載ってます。英雄像の構築は共和国期の政治的文脈が大きい。
  • 註2:「五分の一税」(Quinto do ouroまたは Quinto real)。植民地時代、ポルトガル王室がブラジル金鉱山から産出される金の5分の1(20%)を強制的に徴収した税。鉱山の「王有物」として位置づけられ、Inconfidência Mineiraの大きな反発要因となりました。

では、なぜこの処刑日が全国の祝日になったのでしょうか。1822年のブラジル独立後も、帝政時代はポルトガル王家とのつながりが残っていました。1889年の共和国宣言後、共和派は「王政からの完全な決別」を象徴する英雄を必要としました。そこでTiradentesが「再発見」されたのです。実際、彼の生前の肖像画は存在せず、後世に描かれた理想化された姿(髭をたくわえ、毅然とした表情)が広まりました。19世紀末の共和制樹立期は、国民国家のアイデンティティを急造する時代。植民地時代の「恥ずべき過去」ではなく、「自由を求めた先駆者」としてTiradentesを祭り上げ、4月21日を祝日に制定しました。現在も軍警察の守護聖人として崇められ、教科書や記念碑にその姿は欠かせません。

『英雄を“仕立て上げる”必要があった社会情勢だな。独立から70年近く経って、ようやく“自分たちの物語”を作り始めたわけ。』

Tiradentesは医療従事者であったので、ここで当時のブラジル医療に少し触れておきましょう。18世紀後半の植民地ブラジルは、医療が極めて多層的でした。ヨーロッパ由来のヒポクラテス・ガレノス流の血液抜き、浣腸などが医療措置である体液説(Theory of Humors)が基盤でしたが、医師数は少なく、ほとんどがコインブラ大学などポルトガル本国で学んだエリートでした。現地では理髪外科医(barbeiro-cirurgião)、産婆(parteira)、呪術師(curandeiro)、イエズス会薬局(Farmácias Jesuítas)が主力でした。現地の植物(例:抗マラリア薬であるキニーネの原料キナ樹)、先住民の知恵、アフリカ系奴隷の伝統医学が融合した「混成医療」が日常でした。熱帯病、感染症、栄養失調が蔓延する過酷な環境で、近代的な病院や医学校はほとんどなく、1808年にポルトガル王室がブラジルに移転した時点で医学校が設立され(註3)、ようやく医学教育の基盤が整い始めます。  欧米社会と比べると、ブラジルは明らかに「辺境」でした。啓蒙期のヨーロッパでは大学医学が科学化しつつありましたが、植民地は本国からの薬品輸入に依存し、知識の流入も制限されていました。Tiradentes自身が歯科と植物療法を実践していたのも、そんな実務優先の環境ゆえです。

『一方で、欧米の「先進医学」もまだ体液説中心で、細菌学は19世紀を待たねばならなかった。ブラジル医療の遅れは、植民地構造そのものが原因だったと言えるだろう。』

  • 註3:バイア州サルバドール市のバイア医学校(Faculdade de Medicina da Bahia)がブラジルで一番古い医学校。設立時の名称はRégio Colégio de Cirurgia(王立外科医学校)。

同じ頃の日本はどうだったでしょうか。江戸時代後期(Tiradentes処刑の頃は寛政期)、日本は鎖国下にありましたが、長崎出島経由のオランダ貿易で「蘭学」が花開いていました。杉田玄白らによるオランダ語解剖書の翻訳である1774年の『解体新書』は衝撃的で、西洋解剖学が初めて体系的に導入されました。華岡青洲(1760-1835)は漢方と蘭学を融合させ、1804年頃に世界初の全身麻酔薬「通仙散」を開発し、乳癌手術などに成功。江戸の蘭学医たちは、積極的に西洋書を翻訳・実践し、外科・内科の革新を進め、「蘭方医学」を確立しました。

ブラジルとの比較が興味深いのは、両者とも「外部知識」を取り入れつつ、独自の道を歩んだ点です。ブラジルは植民地支配下で「混成・実用」重視だったのに対し、日本は鎖国という逆境下で「選択的受容」を実現できました。医療の質では、日本の方が漢方医学に基ずく医療制度や手術技術の取り入れ等(註4)で一歩先んじていたと言えます。

『植民地 vs 鎖国、どちらも“外圧”。しかし、対する反応の仕方が違ったのですな。』 

  • 註4:日本では明治維新まで漢方医学が正式の医療であり、蘭方医学は外科的措置のみ許可されていた。蘭方医は主に「紅毛流外科」として位置づけられ、手術・外傷治療など外科的処置が中心だった。漢方医が内科を独占する中、急性虫垂炎(当時の「盲腸炎」)のような腹部疾患は内科疾患とされ、蘭方医が外科的手術を施すことは制度上・慣習上難しく、薬物療法のみに限られた。結果、穿孔性腹膜炎へ進行し死亡する例も見られた。

Tiradentesの時代から約230年。ブラジル医療は飛躍的に進化しました。サンパウロの開業医として日々診察する今、過去の「不便」を思うと感慨深い。地方にいくとまだまだ混成医療が存在します。民間的な医療知識は急速に失われてますけど。しかし、「英雄」や「主犯」を仕立て上げる社会構造、そしてそれを宣伝に使う権力はまったく変わらないなと思いながら4月の休日を過ごした筆者でした。


 

「今は男でも婦人科にかかることあるんじゃないですかね。」

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Food series: Ravioli di granchio. London. Caju©2023.


2026年04月

「今は男でも婦人科にかかることあるんじゃないですかね。」

日本人であれば誰でも「映画・釣りバカ日誌」を知ってますよね。釣りバカ日誌18で次のようなくだりがありました:主人公の「浜ちゃん」が失踪した「スーさん」を探しに行く事になるのですが、会社を休まないといけない。しかし、すでに有給休暇は全部使っているし、「親族の葬儀が〜」はもう死ぬ人がいないくらい使っているし忌引き休暇は短いしどうする?と知恵を絞った結果が浜ちゃんが病気になったと知り合いの医師に診断書を書いてもらうやり方でした。で、その医師が産婦人科なのでレディスクリニックの診断書が提出されるのですが、会社ではもちろんどうして男性が婦人科にかかっているのだと問題にされます。この映画、2007年に公開されており、浜ちゃんのセリフが今月の表題です。約20年経った今、男性が婦人科に行っても驚かない、驚いてはいけない、世の中になってます。

去る3月11日、ブラジル連邦下院の女性権利擁護委員会(Comissão de Defesa dos Direitos da Mulher)で、委員長選挙が行われました。選ばれたのはPSOL党のエリカ・ヒルトン議員。彼女はブラジル史上初のトランスジェンダー女性としてこの要職に就き、「すべての女性を代表する」と宣言されました。ところが選出直後から波紋が広がっています。初回の委員会で、彼女は「mulher biológica(生物学的女性)」という表現を拒否し、代わりに「pessoas que gestam(妊娠する人々)」という言葉を使いました。女性を「imbeCIS(馬鹿者)」(註1)や”彼女”を批判する人達を「esgoto(下水道)」とX・Twitterに投稿してます。またこの議員は女性に関する法案に反対票を投じた事実が多数あり、この状況に対し、保守層だけでなく、一般の”生物学的女性”からも「私たちを代表しない」「女性の定義を消す気か」との声が上がっています。委員会での用語論争は3月18日の初回セッションで顕在化。Júlia Zanatta議員らとの激しいやり取りが報じられています。

  • 註1:ポルトガル語で「imbecis」はimbecilの複数形「馬鹿者達、愚か者達」という意味だが、今回imbeCISと書かれたのはCIS、トランスジェンダーのTRANSの対義語(つまり「ストレート」、異性愛者、一般的な男女)を組み合わせ、「愚かな異性愛者達」と表現した訳だな。上手い、パチパチ。

『これは……ただの言葉の選び方じゃないよな。現実そのものを書き換えようとする動きだ。』

この現象を、筆者は社会構築理論(Theory of Social Construction)の観点から見てみたいと思います。1966年にピーター・バーガーとトーマス・ルックマンが著した『現実の社会的構築』という古典があります(註2)。彼らによれば、私たちが「現実」と呼んでいるものは、生物学的・物理的な事実だけではなく、社会的相互作用を通じて日々構築され、再構築されるものだと言います。性別(sex)ですら、厳密に生物学的なものではなく、文化・言語・権力関係によって「作られる」側面がある——これが現代のジェンダー理論の基礎になっています。

エリカ・ヒルトン議員の用語変更は、まさにこの理論を実践している訳です。「女性」を「妊娠する人々」と言い換えることで、生物学的女性(XX染色体を持ち、子宮・卵巣を持ち、出産可能な身体)というカテゴリーを希薄化し、トランス女性や非バイナリーの人々も含む「包括的 inclusive」な定義に置き換えようとしています。世界的権威の医学誌『The Lancet』が2021年に月経貧困の特集で「corpos com vagina(膣を持つ身体)」という表現を使ったのも、同じ流れです(註3)。あの時は世界中で「女性を物体化するな」「生物学的現実を否定するな」と大論争になりましたが、今やブラジル議会で使用される用語にまで広がっています。

『グラムシのヘゲモニー理論を思い出す(註2)。あのイタリアのマルクス主義者が言った「文化・思想の闘争」。武力ではなく、言葉・教育・メディアを通じて人々の常識を塗り替える。支配階級は自らの価値観を「当たり前」にして、反対する者を「時代遅れ」「差別主義者」に仕立て上げる。その支配的ヘゲモニーを切り崩す「陣地戦」がまさに今、ブラジルで起きているのはそれではないかと。』

  • 註2:03の詳細はP. Berger & T. Luckmann, The Social Construction of Reality (1966)。グラムシのヘゲモニー概念は『獄中ノート』参照。
  • 註3:The Lancet誌の「bodies with vaginas」特集は2021年9月号。世界中で批判を受け、編集部が釈明する事態となった。

筆者はサンパウロで内科医をやっています。毎日、患者さんの身体を診ています。女性の体は男性の体と明らかに違います。心筋梗塞の症状、骨粗鬆症のリスク、ホルモン依存性疾患、妊娠・出産に伴う合併症……これらはすべて生物学的性差に基づくデータです。疫学では性差医学(Gender Medicine)が基礎です。子宮頸がん検診を「妊娠する人々のスクリーニング」と呼んだら、患者さんは混乱するでしょう。この「言語の闘争 disputa linguística」が進むと、何が起こるか。まず、生物学的女性の権利が希薄化されます。スポーツの女性カテゴリー、女性専用スペース、女性用トイレ、女性特有の医療資源配分……すべてが「包括性」の名の下に侵食されていってるのが現状でしょう。包括性が「排除性 exclusive」になってます。

『ブラジルはすでにLGBTQ+権利で世界的に進んだ国だが、同時に女性のDV被害、フェミニシード(女性殺人)が深刻だな。そんな中で「女性」という言葉自体を曖昧にすることは、本当に弱い立場にある生物学的女性を守ることになるのだろうか。実際にこの様な権利を前面的に出し、重要政策と位置づけている現政権ではDV被害や女性やトランスジェンダー殺人が記録的増加している事実がこのあたりの矛盾を曝露している。』

一方で、筆者はトランスジェンダーの方々を否定するつもりはありません。性別違和(gender dysphoria)は実在の苦痛であり、適切な医療的支援が必要です。そして、各個人の選択は各個人の問題であると考えます。でも、それが「女性というカテゴリーそのものを解体する」方向に進むのは別問題です。社会構築理論は確かに強力な分析ツールですが、生物学的現実を完全に無視してしまうと、かえって新たな不正義を生み出します。

『カエルの国のお風呂(2025年01月号のひとりごと)を思い出すな。ゆっくり温度を上げていくと、煮え死ぬまで気づかない。あの寓話のように、言葉が少しずつ変わり、気づいた時には「女性」という言葉がなくなっていた……そんな社会にならないかと、危惧するのだな。このコラムの25人の読者様は、サンパウロ在住のブラジル人、日系人、または日本にいる方々が多いと思う。ブラジル社会は多様性に満ちていますが、多様性を尊重するあまり、生物学的現実を否定する方向に「茹でガエル」状態になっていないでしょうかね。』

医療の現場では、常に「事実に基づく」判断が求められます。患者さんが「私は女性です」と言っても、染色体・ホルモン・解剖学的性差を無視して治療はできません。同じように、社会も少数のための「包括性」という美名の下に、半数の人口(生物学的女性)の現実を消してしまってはいけないと思います。2026年はブラジルで首長選挙があるのでさらに激しい文化闘争の年になりそうです。言語が現実を構築するという理論を、よく理解した上で、自分自身の身体と周囲の現実をしっかり見つめていただきたい。それが筆者からの、開業医としてのささやかな提言です。


ムカムカ、ああ、ムカつく

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Food series: Unigunkan. Iwaya. Caju©2026


2026年03月

ムカムカ、ああ、ムカつく

最近、妙に「ムカつく」ことが増えた気がします。

正確に言うと、ムカつく対象がどんどん増殖しているように感じます。

たとえば、ニュースを見ていると。

「〇〇が差別だ」「△△は人権侵害」「□□は環境破壊」と、

毎日毎日、誰かが誰かを糾弾しています。

正義の旗を掲げて叫ぶ声が大きければ大きいほど、その裏に計算が見え隠れして、ぞわっとします。 本気で怒っている人もいるのでしょうが、「正義」やポリコレ(註1)を振りかざすことで得られる視聴率、いいね数、寄付金、  収益化、政治的工作……そういうものが透けて見えると、  途端に冷めてしまいます。

  • 註1:ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス、政治的適正)とは、人種、性別、宗教、性的指向、障害の有無などに基づく偏見や差別を防ぐため、中立的な表現や行動を求める考え方です。誰もが排除されない社会を目指し、言葉の言い換えやメディアの配慮などで活用されていますが、行き過ぎているので「表現の自由」や「創作の多様性」を狭めているという議論があります。

『あー、またか。ムカムカ。』

ブラジルに住んでいると、それら以外にも、もっと直接的にムカつく場面が多いです。 信号無視のバイクで轢かれそうになる。 横断歩道で歩行者が待っているのに、車はクラクションを鳴らして威嚇します。 スーパーのレジが携帯電話でメールしながら会計して失敗する。アいや反対か、スーパーのレジが会計しながら携帯電話でメールして失敗する。どれも「自分が優先」という空気が濃厚で、「いや、規則というものがあるでしょう」と口に出したくなります。でも言わない。言ったら面倒なことになるからでしょ?

日本では「空気を読む」のが当たり前です。ブラジルでは「空気を読む」より「自分が他人より優位に立つのが良い」方が強い文化と言えるでしょう。 どっちも極端になると息苦しいです。 日本は同調圧力で押し潰され、ブラジルは自己主張の暴力で押し潰されそうになります。結局、どっちも「ムカつく」。

そして一番ムカつくのは、自分自身かもしれません。こういう場面で「まぁいいか」と流してしまう自分が。本当は「それは違う」と声を上げたいのに、「面倒くさい」「どうせ変わらない」「自分が損するだけ」と、心のどこかで諦めている自分が。「結局、ムカついてるのは社会じゃなくて、自分の弱さか。」と考えるのは日本人的な捉え方ではないですかね?

ブラジル人的に捉えると、一番ムカつくのは、狭く言うと回りの人達、広く言うと社会が悪いから。「自分の権利や主張を無視しやがる」。本当は「上手く立ち回った」と自身を褒めて優越感に浸りたいのに「ヤバかった」「下手をこいた」と、心のどこかで正しくない事をしていると自覚している。それで一番ムカつくのは、自分自身かもしれません。

今の社会情勢を見ていると、みんなが「正義」を叫びすぎて、本当の不条理や理不尽が埋もれてしまっている気がします。声の大きい者が正義を独占し、静かに耐えている人たちの声は届かない。 そしてその静かな人たちの中に、実は一番傷ついている人がたくさんいます。また、沢山の人達はソーシャルネットワークで自己肯定感を満たすため優位の競い合いをして自己否定感満載になってムカつく。

でもそのムカつきをどこにぶつければいいのか、分かりません。 このコラムの25人の読者様はどうしたら良いか分かりますか?

『ムカつくって、本当はこのどうしようもない世の中で生きている自分の中の矛盾や無力に一番イラついているだけなのかもしれないな。』

「ムカつく」という言葉、日常では怒りや苛立ちを表しますが、実は「nausea(吐き気)」という医学用語と深くつながっています。英語の「nauseous」は「吐き気がする」だけでなく「嫌悪感を催す」という意味も持ちます。日本語の「ムカムカする」「胸がむかむかする」も同じルートで、「ムカムカする」は、怒りや苛立ちで胸がざわつく感情を表す擬音語です。元々は胃の不快感・吐き気を表す「むかむか」が転じて、心理的な嫌悪や怒りまで広がりました。「胸がむかむかする」は特に、胸のあたりにこみ上げる不快感・イライラを強調します。

吐き気(nausea)は、脳の延髄にある嘔吐中枢が刺激されたときに起きます。原因は多岐にわたります。胃腸の炎症、薬剤、妊娠、乗り物酔い、化学療法、脳圧亢進など。でも面白いのは、心理的・感情的な刺激だけで吐き気が起きることです。嫌な臭い、グロい映像、強いストレス、怒り、屈辱感。これらはすべて「化学療法性吐き気」と同じ回路を通ります。

『つまり、ムカつくとは感情が嘔吐中枢を刺激している、と言っても過言ではない。』

生理学的に言うと、延髄の化学受容器引金帯(かがくじゅようきひきがねたいCTZ:Chemoreceptor Trigger Zone)は、血液や脳脊髄液中の有害物質を感知するセンサーです。ここにセロトニン、ドーパミン、ヒスタミン、アセチルコリンなどの神経伝達物質が過剰に作用すると、嘔吐反射が起動します。怒りや嫌悪の感情は、前頭前野や扁桃体から視床下部を経由して延髄に信号を送り、そのCTZを活性化させます。つまり「ムカつく」は脳内で本物の「毒」を検知したときと同じ反応なのです。

臨床でよく見るのは、ストレス性の慢性吐き気です。患者さんが「最近ずっと胸がむかむかして食欲がない」と訴えます。検査では異常なし。内視鏡も正常。ところが話を聞くと、上司のパワハラ、家族との不仲、会社の業績圧力……。よろしくない感情が持続的にCTZを刺激し続けています。こういうケースでは、抗不安薬や5-HT3受容体拮抗薬(制吐剤)が意外と効くことがあります。脳が「毒だ!」と勘違いしているのを、薬で少し抑えてあげるわけです。

ブラジルでは「enjoo(エンジョーオ)」という言葉が吐き気と嫌悪の両方をカバーします。カーニバルで飲み過ぎて「enjoado」(吐きそう)になるのも、腐敗政治を見て「estou enjoado dessa política(この政治にうんざりだ)」と言うのも、同じ単語。言葉が感情と身体を直結させている証拠です。

『結局、ムカつくというのは、脳が「これは体に悪いぞ」と警告を発している原始的な防衛反応なのだな。』

現代社会はその警告が多すぎます。SNSのヘイト、ニュースの惨状、日常の理不尽。脳のCTZは常にオーバーヒート気味です。結果、慢性的な「ムカつき吐き気」が蔓延しています。胸がむかむかするのは怒りかもしれないし、脳が必死に「逃げろ」と叫んでいるサインかもしれません。吐き気止めを飲む前に、一度深呼吸して「これは本当に毒か?」「何の毒か?」と自分に問いかけてみるのも一手だと思います。医学的には、自律神経の交感神経優位状態で胃腸の運動が乱れ、実際に軽い吐き気や胸焼けを伴うことがあります。ストレスが延髄の嘔吐中枢を刺激し、「毒だ!」という原始的な警報が感情と身体の両方で鳴っている状態です。

『ムカムカ=脳と胃が同時に「これはヤバい」と叫んでいる、ということですね。だから怒りが頂点に達すると本当に吐きそうになります。感情と身体は、思ったより密接につながっているのだ。』

ああ、ムカつく。

このムカつきが、単なる苛立ちなのか、体からの警告なのか、それとも自分の弱さへの自己嫌悪なのか、自己否定されたからなのか……。

いずれにせよ、吐き出さないと溜まる一方です。  本当に毒を飲んでしまった場合、折角生物の進化の時点でそれを吐く機能が付いたのでもあるし。無理せず、我慢せずゲロしましょう。


しっかり機能しないから機能性?

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Big city at sunset. São Paulo. Caju©2019.


2025年12月

しっかり機能しないから機能性?

このコラムの25人の患者様は「機能性医学」て聞いた事ありますか?ポルトガル語でmedicina funcional、英語でfunctional medicineです。名称から見ると、なんか「普通」とか「一般」の「医学」よりスゴイように思えますね。辞書によると、「機能(function)」とは「体や機械、組織などの中で、あるものがその働きを十分に示す事。またはその働き。活動できる能力、作用。」と説明されてます。どうしてこんな話になっているかと言うと、先日診療所の患者さんが機能性医学を展開する皮膚科へ行ったら山のように血液検査指示が出たので、筆者の意見を求められました。恥ずかしい事ながら、「へ?」になってしまいました。今までなんとなく機能性医学という言葉は聞いた事があったのですが、注意した事が無かったのです。というのも、医科学には「機能不全(dysfunction)」という概念があり、生体の機能が正常に作動していない状態であり、体調不良や病気を引き起こす要因の一つです。医師としての筆者の頭の中では医療で生体の機能を正常にもどす事そのものを医学(狭義では医行為)であるので、わざわざ機能性と標榜する必要あるんか?がそれまでの知識でした。医療系の仕事では他に機能性栄養学とか機能性リハビリテーションといった言葉も耳に入ってはきてたけど最近何事にでもやたらと形容詞を付けるのが一層上等といった流れの内だろうと思ってました。画家<女性画家<レスビアン女性画家<オーバーサイズ・レスビアン女性画家のようにね。

そこで、これは一体どういう事なのか調査してみました。機能性医学とは、患者中心の個別化医療アプローチであり、遺伝的・環境的・ライフスタイル要因を詳細に評価し、慢性疾患の根本原因となっている生体システムの機能不全を特定し、治療することを目的とする医療行為であるそうです。

『これって、別に「正常な医療行為であるべき姿」ではないんかい。筆者の診療所での医療姿勢だけど。漢方医学をやっていると、自然にこの姿になるのだな。』

この様な医療姿勢をわざわざ提言するという事は反対に現代一般的に行われている医療行為が「そうではない」という意味であろうし、どうやら最近のトレンドになっているようなのでこの機会に少しお勉強してみました。結論から言うと、日本でもブラジルでも行われている通常の医療は現代の医療ニーズに応えられない部分が多々あるのが出現の根本的な原因だと思われます。生活習慣病、自己免疫疾患、複雑な疼痛症候群といった多因子性の慢性疾患の爆発的な増加は、単一の原因に単一の薬を処方する標準化された通常のアプローチでは不十分であるのです。複雑な慢性疾患の解明と管理が求められる場面があるわけですね。そこで、従来の医療が疾患を臓器や専門分野で区切って捉えるのに対し、身体を生体システムの複雑なネットワークとして捉え、システム間の機能不全を探る方法が提唱されました。このシステム生物学(Systems Biology)的視点は、同化・異化、防御・修復、エネルギー生成、輸送、コミュニケーション、構造統合といった身体の主要な機能をバランスの取れた状態で維持することを目指したのを機能性医学と命名されたのです。

1990年代より「非恒常的医療」が医療業界に認知されるようになってます。名称のとおり、これは十把一絡げの分類の仕方でしっかりと体系化された学問である東洋医学やインドのアユルベーダ医学のような伝統医学も「色彩療法(註1)」とか「波動療法(註2)」のような科学的とは言いがたい”治療法”も含まれます(註3)。現代のいわゆる西洋医学は科学的である、であるべき、でないとダメといった考え方が主流なので、機能性医学も科学的な包装があるようです。個人の遺伝的、環境的、およびライフスタイルの要因を詳細に評価し、慢性疾患の根本原因となっている複雑な相互作用を特定することに重点を置いた、個別化された患者中心のアプローチであり、栄養学、生化学、ゲノミクスの進歩を取り入れ、個人の生化学的特異性に基づいた、より科学的かつ個別化された治療モデルであると定義されます。

  • 註1. 色水治療や色光療法とも呼ばれる。特定の色や色光がヒトの身体的および精神的な健康に影響をあたえるという考えに基づいた”代替医療”。
  • 註2. ダウジング(dowsing)とも呼ばれる。人間が潜在的に持つ目に見えない放射線や波動の不均衡を感知し、健康状態を評価、調整する方法 。
  • 註3.例えば、虹の7色を分類する時、赤色と非赤色の2分類にするようなものです。全部ごちゃまぜ。

このアプローチは、東洋の伝統的な医療体系、特に日本の漢方医学が古くから実践してきた「人を診る医療」の哲学と、多くの共通点を持ってます。機能性医学と漢方医学は、その成立基盤こそ大きく異なりますが、患者を全体として捉えるホリスティックな哲学において深く類似しています。つまり、類似性と融合性がある”医学”と言えるのではないかと思います。

  • •詳細な問診と全身の観察: 機能性医学の詳細な生活習慣・環境問診は、漢方医学の問診や、診察室に入った瞬間から始まる顔色、動作、体型を観察する「望診」と同様に、患者の全体像を把握するために欠かせません。
  • •個別化: 漢方医学の「証」の決定は、機能性医学が目指す「生化学的特異性」の特定とパラレルです。同じ疾患名であっても、患者の証が異なれば処方される漢方薬が異なるように、機能性医学でも根本原因が異なれば栄養介入やサプリメントプロトコルが異なります。
  • •根治療法: 漢方医学には、表面的な症状を抑える「標治」と、体質そのものや根本原因を治す「本治」の概念がありますが、機能性医学の目標はまさにこの本治に相当します。
  • •ライフスタイルの重視: 食事、休息、運動による健康維持の知恵である漢方医学の「養生論」は、機能性医学の治療の柱である栄養医学、運動、睡眠、ストレス管理といったライフスタイルへの介入と本質的に同一です。漢方で言われる五臓や季節に合わせた食事や生活の提案は、機能性医学の食事指導において、その土地の伝統的な知恵として具体的に統合され得ます。

もちろん相違点はあります。診断方法と治療方法が大きく異なります。

  • •診断ツール: 漢方医学が五感を主とする四診と呼ばれる定性的な診断に頼るのに対し、機能性医学は定量的な最新のラボ検査に大きく依存します。機能性医学は、生化学的なデータを用いて、漢方が「気虚」「瘀血」といった概念で表現する体内の不均衡を、「ミトコンドリア機能不全」「リーキーガット(腸管透過性の亢進)」といった西洋医学的な用語で具体的に言語化・数値化しようとします。
  • •漢方薬の治療薬としての視点:複数の生薬の組み合わせである方剤が「証」に基づいて選択され、生体システムの全体的なバランスを穏やかに調整します。
  • •機能性医学的介入の治療薬: 高用量のビタミン、ミネラルなどの栄養素、ハーブエキス、プロバイオティクスなどが、特定された生化学的経路の機能不全をターゲットに個別化して使用されます。

この両アプローチは、特に慢性疾患において、漢方薬で全身の「証」を整えつつ、機能性医学的検査で特定された具体的な分子レベルの欠損や機能不全に高精度な栄養介入を行うという「統合医療(Integrative Medicine, Integrative Health Practice)」の形で非常に高い相乗効果を発揮できる潜在性があります。

症状を一時的に抑えるのではなく、腸内環境異常、ミトコンドリア機能不全、栄養素欠乏、慢性炎症のような疾患の真の根本原因を特定し、それを是正するための治療戦略を提供できます。これにより、患者は薬物療法に依存することなく、自身の自己治癒力を最大限に引き出し、より質の高い生活を送ることが可能になります。また、ライフスタイルへの集中的な介入は、患者自身が健康管理に積極的に関与するエンパワーメントを促進し、長期的な予防医学の実現に貢献します。複雑な多因子性疾患や、従来の標準治療で十分な効果が得られなかった患者にとって、新たな治療の選択肢を提供できる点が非常に大きな価値を持ちます。

一方で、機能性医学にはいくつかの課題と欠点が存在します。最も大きな欠点は、費用負担が大きいことです。最先端の機能性検査(註4)や、個別化された高用量サプリメントの多くが医療保険の適用外となるため、患者の経済的負担が高額になりがちです。また、このアプローチは、患者の食生活や生活習慣の抜本的な見直しを要求するため、治療の成功には患者側の高いコミットメント(努力と継続性)が不可欠であり、途中で離脱するケースもあります。さらに、この分野はまだ発展途上にあり、全ての介入やプロトコルについて大規模なランダム化比較試験(註5)のデータが十分とは言えないため、科学的根拠の強固さという点で、従来の標準医療と比較されることがあります。

『機能性医学は、現代医療の新たなパラダイム(註6)を提供するとまで言われている。急性期医療や救急医療における西洋医学の有効性は揺るがないが、機能性医学的アプローチは慢性疾患の予防と管理、そして健康の最適化という点で、従来の医療の盲点を補完する高い有用性を持っている可能性がある。生化学的根拠に基づく個別化と、漢方医学が長年培ってきた全身のバランスを重視する哲学を融合させることで、21世紀の医療において重要な役割を果たすと期待したい。パラダイムシフト。』

日本でも導入されてるようですが、ブラジルはこの分野の世界トップクラスで、機能性医学を専門とするクリニックや、栄養士との連携が非常に発達して機能性栄養学(Nutrição Funcional)が特に成熟している国の一つであるそうです。なので、これからも我々の生活の中で話題にあがりそうですね。2024年5月のひとりごと、「サプリ大好きな日本人へ」に機能性表示食品について展開してますのでこの機会に読み返してみていただければ幸いです。

『結局、機能性医学って「ちゃんと身体を機能させる医学」ってことだよな。名前はカッコいいけど、やるべきことは昔から変わらない。やるべきことをやらんからこんなふうになるんでしょうが。漢方やってる開業医としては、ちょっとニヤリとしてしまうトレンドでした。』

  • 註5. RCT(Randomized Clinical Trial)とは、被験者を複数のグループに無作為(ランダム)に割り付け、介入の効果を客観的に比較する研究手法。この無作為化により、年齢や性別などの個人の特性がグループ間で偏らないようにし、試験結果が介入によるものだと判断できるよう、科学的根拠レベルが最も高い研究手法の一つとされている。
  • 註6.パラダイムとは、ある時代や分野で支配的になっている「物の見方や捉え方」の枠組みのことです。科学分野の「天動説」から「地動説」への転換のように、時代と共に変化する考え方を指し、この変化は「パラダイムシフト」と呼ばれます。

なんでこんなに目がかすむんや

By: Kazusei Akiyama, M.D.

November rain picture at exibition. São Paulo. Caju©2023


2025年11月

なんでこんなに目がかすむんや

夜、お家に帰ってすぐ:「あー今日の酒はいつもより酔うなあ。なんかいつもよりふらふらするぞ。」

帰ってちょっとしてから:「ゲロゲロ。ゲロゲロ。あー気分悪い。頭痛いし。横になろう。」

次の朝:「あれ、なんかぼやけて見えるな。霧がかかったのか?そうじゃないよな。あったま痛いし。ゲロゲロゲ〜。」

もうちょとしてから:「あーしんどい。寒気する。何も見えない。起き上がれないよお。」

さらに数時間後:「…」

このコラムの25人の読者様、ここまでみるとどう思われますか?この人、大変な二日酔いになっているなあ、ですよね。確かに酷い二日酔いの症状のようですが、これは「メタノール中毒」の症状です。上出の「さらに数時間後」の「…」は昏睡が起こっているか、死亡に至っているかです。現在ブラジル、特にサンパウロではこのような状況が身近に迫っています。

2025年9月頃からブラジルで発生している酒類へのメタノール混入問題は、深刻な社会問題を引き起こしています。この事件は、主にサンパウロ州を中心に報告されており、偽造されたジン、ウォッカ、ウィスキーなど蒸留酒に工業用メタノールが意図的に混入されたことが原因です。ブラジル国保健省の報告によると、9月以降、217件の疑い例が確認され、そのうち46件がメタノール中毒として確定。死者は少なくとも9人に上る惨事になってます。当初はサンパウロ州で1人の死亡が確認されて特段ニュースにならなかったのが、急速に被害が拡大し、10月に入ってからも新たな死亡例が相次ぎました。被害者は主に低所得層で、価格の安い偽造酒を購入した人々が多かったので、中産階級以上は我知らずを決め込んでいたところ、次第にその周りにも症例が現れ、お洒落なバーやレストランでの販売も影響を受け、業界全体の売上が急落しています。

この事件の背景には、ブラジルのアルコール市場における違法流通の問題があります。メタノールは工業用として安価に入手可能で、アルコール度数を偽って高く見せるために混入されるケースが過去にも散見されましたが、2025年の規模は異例です。メディアの報道では、被害者の家族が「貪欲による殺人」といった様な表現するほど、利益優先の犯罪性が指摘されてます。当局の調査で、特定のブランドの飲料がメタノール(註0)で汚染されていることが判明し、全国的な警報が発令されました。パンデミック後の経済回復期に、規制の緩みがこうした違法行為を助長した可能性も指摘されています。また、大規模犯罪組織がマネーロンダリングのため所有しているガソリンスタンドのエタノールに水増し混入するため大量に備蓄していたところ、当局の別件の捜査で水増しが困難になり、あふれた在庫が市中に出回った説もあります。この問題は、公衆衛生の観点からだけでなく、経済や観光にも悪影響を及ぼしており、外国大使館も在ブラジル同胞に対して飲酒注意を呼びかけています。

メタノール中毒の症状は、ギ酸によるミトコンドリア(註1)の電子伝達系阻害と、代謝性アシドーシスが主な原因です。ギ酸は特に視神経や脳の酸素利用を阻害し、細胞死を引き起こします。メタノール中毒は、摂取後数時間から数日で発症する深刻な問題です。主な原因は、飲酒のように経口摂取ですが、皮膚吸収や吸入でも起こり得ます。人体では、肝臓のアルコールデヒドロゲナーゼ酵素によりホルムアルデヒドに、次いでギ酸に代謝されます。このギ酸が酸中毒(アシドーシス)を引き起こし、細胞毒性が高い。特に、視神経や脳にダメージを与え、永久的な障害を残します。

  • 註1. ミトコンドリアは細胞内の小器官で、エネルギー(ATP)を生成する「細胞の動力源」。酸素を使って栄養を分解し、代謝や細胞機能を支える。膜構造を持ち、独自のDNAを有する。

症状は摂取量によりますが、初期段階と遅発段階に分かれます。初期は一般的に摂取後6から30時間くらいの時期で、頭痛、めまい、吐き気、腹痛、眠気が現れ、エタノール酔いと似るため大抵見逃されます。遅発ではぼやけ、失明 などの視力障害、呼吸困難、けいれん、昏睡が現れ、重症化すると心停止や呼吸停止に至ります。ギ酸の蓄積がミトコンドリアを阻害し、乳酸アシドーシスを悪化させます。致死量は個人差がありますが、成人で30-60ml(約15-100g)とされ、10mlでも重症化する可能性があります。子供や高齢者はより低量で危険です。治療はエタノール投与やフォメピゾールで代謝を阻害し、透析で除去できますが、初期治療が遅れると予後不良になります。ブラジルの事件では、これらの症状が多発し、失明例も報告されています。

メタノールは、飲用には適さないものの、工業分野で幅広く活用される有用な化合物です。その主な理由は、安価で大量生産可能であり、反応性が高く、多様な派生物を生成できる点にあります。まず、燃料として使用できます(註2)。バイオディーゼルやガソリンの添加剤として、燃焼効率を向上させます。船舶や自動車の代替燃料としても注目されており、クリーンエネルギー移行の一環でメタノール燃料電池が開発されてます。次に、化学原料として重要です。ホルムアルデヒドの原料となり、これを基に樹脂、接着剤、プラスチックが製造されます。例えば、合板や家具の接着剤に欠かせません。酢酸の生産にも用いられ、塗料、溶剤、繊維の原料となります。また、メチルエーテルやメチルアミンなどの誘導体は、農薬や医薬品の合成に不可欠です。人工甘味料の製造にも使用され、人体でそれが代謝されるとメタノールが発生します(註3)。不凍液やウインドシールドウォッシャー液としても一般的で、低温での凍結防止効果が高いのも特徴。さらに、廃水処理での脱窒素剤や、実験室での溶剤として利用されます。世界生産量は年間数億トンに及び、中国や中東が主産地です。

  • 註2. 米国のインディカーシリーズの燃料は2005年まで100%メタノールを使用していた。
  • 註3.トマトジュースや柑橘類のジュースなど、天然に存在する食品から摂取される量よりも少ないとされているけど…

『これらの有用性ゆえに、普段からかなりの量が流通しており、ブラジルの事件のように違法混入が発生可能になるのだな。メタノールはエタノールより安価で入手しやすく、アルコール度数を偽装するために悪用されるのだ。また、今回の事件では、偽造酒を作る時に使用される本物の瓶をメタノールで洗浄した可能性もあげられているな。』

ブラジルのこのメタノール事件、ほんとに怖いですよね。行政の対策として、保健省が10月頭に全国警報を出して、蒸留酒の摂取を控えるよう呼びかけてるけど、それだけじゃ足りないと筆者は思います。もっと抜本的に、供給網の監視を強化して、メタノールの流通を厳格に規制すべきでしょう。保健大臣が「公衆衛生緊急事態」って宣言してるんだから、迅速な通知と対応を義務づける法律改正とか、国際協力で偽造酒の撲滅を目指せばいいのにやりませんな。仕事できない。なので政治的な信頼も揺らいでます。被害が200人超えてるんだから、検査体制の拡充や、バー・レストランへの抜き打ちチェックを増やさないと、経済も打撃受けるだけです。個人レベルでは、まず信頼できる店やブランドだけ買うことでしょう。ラベルをよく見て、異常な安さや臭い、蓋と封印に注意。酒税に関する封があるのを確認するのはもちろんですが、その封自体も偽造されているケースもあるのでなんとも言えないです。新規のボトルをとるでもしないと封印なんか分からないし。「飲む前に少量テストして、異常を感じたらすぐ医療機関へ」と言いたいところですが、メタノールはエタノールに似たアルコール臭の上、混和性が高いのでまず分からないですよ。結局、予防が一番、と最近は皆思うようになっているので外食で飲酒するのが激減しているようです。命を落としますからね。筆者は海外の免税店で購入したお酒を自宅で楽しむ事にしてます。

『現時点でブラジルで飲酒して本稿で書いたような症状があれば、即座に救急外来の受診が必須です。』


註0. メタノールは、化学式CH3OHで表される有機化合物で、別名メチルアルコールや木精とも呼ばれる。分子量は32.04 g/molで、常温では無色透明の液体状を呈し、軽く揮発性が高い。沸点は64.7℃、融点は-97.6℃と低温でも液体を保つため、取り扱いが容易だ。密度は約0.792 g/cm³で、水やエタノールと完全に混和する性質を持つ。可燃性が高く、引火点は11℃と低いため、火災のリスクがある。また、エタノール(飲用アルコール)に似た甘いアルコール臭を有するが、毒性が極めて高い点で区別される。化学的には、アルコール類の最も単純な構造を持ち、一価アルコールに分類される。炭素原子が1つで、水酸基(-OH)とメチル基(-CH3)が結合した形だ。工業的には、主に天然ガスや石炭から合成され、一酸化炭素と水素を触媒下で反応させるメタノール合成法が一般的。純度は99%以上のものが市販されており、pHは中性に近いが、水溶液では弱酸性を示す。熱化学的には、燃焼熱が約726 kJ/molで、エネルギー源としても利用される。