寓話のようで寓話でない話:「買い物袋もって来いよ」

By: Kazusei Akiyama, M.D.

July. Some cloud at Sunrise. São Paulo. Caju©2024.


2025年7月

寓話のようで寓話でない話:「買い物袋もって来いよ」

最近、近隣の街でこんな出来事がありました。

スーパーのレジで、年配の男性が若い店員にこう言われました。

「マイバッグはお持ちですか?プラスチック袋は有料ですし環境に良くないので、ご自分の袋を使うのがおすすめですよ。」

男性は少し照れながら答えました。

「すみません。私の若い頃には、こうした『エコ』の考え方はあまりなかったもので。」

店員は上から目線の口調で返しました。

「それが問題なんです。昔の世代が環境のことをあまり考えなかったから、今こんな状況なんですよ。」

少し間を置いて、男性は穏やかに語り始めました。

「確かに、私たちの時代には『エコ』という言葉はありませんでした。でもね…」

– 牛乳やジュース、ビールの瓶は店に返し、洗浄・再利用されていました。リサイクルそのものです。

– エスカレーターがなく、階段で移動。電気は自然と節約していました。

– 買い物や用事は徒歩。ちょっとした移動に車は使いませんでした。

– 布おむつを洗って使い回し。紙おむつは一般的ではありませんでした。

– 洗濯物はロープに干し、太陽と風で乾燥。乾燥機は不要でした。

– テレビやラジオは家に1台だけ。各部屋に置くなんてありえませんでした。

– 切ったり混ぜたり潰したり、調理は手動。電動ミキサーなどは使っていませんでした。

– 梱包には古新聞を使用。プチプチみたいなプラスチックの緩衝材はありませんでした。

– 草刈りは手押し式の芝刈り機。電気は使いませんでした。

– 日常が運動そのもの。ジムでランニングマシンを使う必要はありませんでした。

– 水は蛇口から直接、またはガラスコップで飲みました。プラスチックのコップやペットボトルは存在しませんでした。

– カミソリの刃だけ交換。使い捨てはしませんでした。

– 子どもは自転車や徒歩で通学。車で親の送迎はありませんでした。

– 部屋にコンセントは1つで十分。複数の機器を設置したり充電する時代ではありませんでした。

– 道案内は地図や人に聞くもの。GPSやスマホはなかったのです。

– 電話は固定電話で、1軒に1台あれば贅沢。携帯電話のバッテリーで環境を汚すなんて考えられませんでした。

「だからこそ、今の若い世代が「昔の人は環境を顧みなかった」と批判するのを聞くと、どこか皮肉に感じてしまいます。本当に環境を第一に考えているのだろうかと、つい考えてしまうのです。」

この話は、ネット上のフォーラム、Quoraのスペイン語版に掲載された投稿を基にしています(註1)。投稿者はペルー在住のマリア・デル・ピラル・トヘリさんで、題名は「generación equivocada」直訳すると「間違った世代」。この投稿は、2020年にペルーで起きた抗議運動「Se metieron con la generación equivocada」(「彼らは間違った世代に手を出した」あるいは「間違った世代にケンカを売った」)を背景にしています。  当時、ペルーではマヌエル・メリノの暫定政権と政治腐敗に抗議する若者主導のデモが全国で展開されました。このスローガンは、若者の抵抗を象徴するものとして広まりました(註2)。当時、世界の関心はコロナ禍やトランプ対バイデンの米国大統領選に集中しており、ペルーの運動は日本やブラジルを含む海外ではあまり知られていません。要するに、「若者たちが政治腐敗に立ち向かった社会運動」だったのです。

  • 註1. https://qr.ae/pAIVvI(原文閲覧可能)
  • 註2. 2020年のペルー政治危機:マヌエル・メリノの就任と辞任、ビスカラ大統領の弾劾。

『それだけ見てると、若者達が社会問題や政治問題に関心を持ち、立ち上がるのは良い事だ!パチパチ。拍手。になるな。』

ここで、しかし、が入ります。一見、若者が社会問題に関心を持ち、行動を起こすのは素晴らしいことです。だが、よく観察すると、これらの運動が本当に自発的なのか、疑問が湧きます。  2020年頃、ペルー以外でも若者主導のデモが世界中で発生しました。たとえば、香港の民主化デモ、米国のブラック・ライブズ・マター(BLM)運動、タイの反政府デモ、チリの抗議デモ、欧州の気候変動ストライキなどです。これらはリーダー不在でSNSを活用した分散型運動という共通点を持ちます。しかし、人権や環境、民主主義といった「正義」のテーマが、特定の勢力によって利用されている可能性が筆者にはあるように思えるのです。若者の情熱が、経済的・政治的な目的のために巧みに焚きつけられているとしたら、どうでしょう。

気候変動ストライキを例に取ると、環境ビジネスの影が見え隠れします。一番目につくのは電気自動車シフトですが、太陽光や洋上風力への企業投資、環境コンサルティングの成長、ESG投資の拡大、代替タンパク質やエコツーリズムの推進(註3)――これらは若者のストライキによる環境意識の高まりと連動し、企業利益に直結しています。しかし、企業や政治家が「環境」を旗印に、注目や利益を得ようとしている現実や、一部の運動が左派政権下で勢いを失う様子を見てると、多様にある「運動」の誠実性を疑問視するのは筆者だけでしょうか。

  • 註3. 低炭素旅行サービスと言ったモノまで出てきた。

『本当に環境の事など思ってないでしょ。結局金儲け。あるいは法人が社会の風当たりに乗り遅れないようにそのフリしてるだけだったり。一定の注目を浴びるから政治家なんかも便乗も多いし。どっかがレジ袋有料化してたな。』

ペルーの抗議運動も、当初は政治腐敗への抵抗でしたが、環境や人権など多様な議題が混在し、焦点がぼやけたてしまい、かの国のトランスジェンダーの国会議員の勝利みたいな話になって終わってしまっている印象です(註4)。トヘリさんの投稿は、若者の情熱が大きな権力に利用され、環境のような重要な案件が偽善の虜になっている可能性を警告しているのではないかと思います。  この話は、単なる世代間の言い争いではありません。近年色々叫ばれている正義のテーマを考えるとき、私たちは何を優先し、どう行動すべきなのか――そんな問いを投げかけてきます。

  • 註4. https://www.lavanguardia.com/politica/20201115/49472171977/en-peru-se-metieron-con-la-generacion-equivocada.html(解説記事)