ペシペシせんといかんの?本当?

By: Kazusei Akiyama, M.D.

Food series: Youshoku (hambaaga + ebi furai + ebi cream korokke). Nishinomiya. Caju©2023


2026年10月

ペシペシせんといかんの?本当?

最近日本で日本人に「ブラジルの田舎に行くと、オンサと言うネコ科の猛獣がいるので、藪や森林に入るときは長い棒で前方を「ペシペシ」叩きながら進まないと襲われかねないと言った記事を見たけど、先生、怖い所にお住まいですね」と言われました。えええ〜。そんな話が日本では流通しているのかとビックリした次第です。外国人からみたブラジルの(良い)印象(註1)は自然の美しさ(特にアマゾン)、文化の多様性と人の温かさ、生き方の豊かさが挙げられるようです。そして一般的な日本人のブラジルのイメージはサッカー、カーニバル・サンバ、暑い、ビーチ、リオ、陽気で身体能力が高い人々、コーヒー、アマゾンといった所でしょう。印象と実際が異なると、前出のオンサ(onça)の話に行き着くのですね。面白いので代表的な勘違いや誤報を幾つか調べてみました。ブラジルに在住されている読者様にとってはバカな話にうつるかもしれませんがお付き合いいただけたら幸いです。

  • 註1:日本人にとって悪い印象は治安が悪い、時間感覚がルーズ、手続き・行政が複雑、社会格差の大きさ、ポルトガル語の壁が高いがあげられる。

1. 田舎の藪は棒で「ペシペシ」叩かないとオンサ(ジャガー/ピューマ)に襲われる:ジャガー(Panthera onca、onça-pintada)もピューマ(Puma concolor、onça-parda)もサンパウロを含むブラジルにいますが、人を積極的に狩ることは皆無です。人を避ける夜行性の動物で、「藪に入るたびに前方を叩かないと襲われる」という運用は、現地の農村・牧場・観光ガイドの標準ではないです。ヘビ対策の「杖で草を払う」話と、大型ネコの存在を混ぜた誇張です。

2. ピラニアpiranhaは人や牛を数分で骨にする「人食い魚」:映画とセオドア・ルーズベルトの1913年記述が原型です。あの「牛が一瞬で骨になる」場面は、網で閉じた水域に飢えたピラニアを集めた見せ物だったことが知られています。実際の咬傷の大半は1回のかみつきで、繁殖期の巣防衛や、餌の投棄で慣れた個体によるものです。生きた大型動物を群れで食い尽くす現象は科学的に確認されていません。

3. アマゾンは無人の「緑の地獄」=手つかずの原始林:「人のいない密林」というイメージは、16世紀以降の疫病で先住民人口が崩壊したあとにヨーロッパ人が見た光景が固定されたものです。近年の考古学では、少なくとも1万3000年前から人がおり、テラ・プレタ(terra preta、人為的黒土)や大規模な岩絵群など、農耕・定住の痕跡が広がっています。「無人の処女林」は歴史的にも生態学的にも不正確です。

4. アマゾンは「地球の肺」で、世界の酸素の約20%を供給している:環境キャンペーンでよく使われる数字ですが、成熟した熱帯雨林は光合成で出した酸素のほとんどを、分解・呼吸で消費します。純増分はごく小さい、というのが現在の標準的な理解です。アマゾンの地球規模の重要性は酸素供給量ではなく、炭素貯蔵、水循環、生物多様性にあります。「肺」という比喩が数字まで一人歩きした例です。

5. 街や道にワニがいる/川に近づけばすぐワニに食われる:アマゾンやパンタナールにカイマン類は多いですが、都市部の路上を歩く存在ではありません。観光用の餌付けポイントや乾季の水たまりに集まる映像が、「どこでもワニ」に一般化されています。人への攻撃はゼロではありませんが、「川=即捕食」ではありません。

6. ブラジルの公用語はスペイン語(または「ブラジル語」):外国人がブラジル人に言いがちな定番の一つです。公用語はポルトガル語です。スペイン語圏に囲まれていること、ラテンアメリカを一括りにする報道、さらに「ブラジル語を話すの?」という言い方が重なって定着しました。

7. 首都はリオデジャネイロ:観光写真・カーニバル・キリスト像・コパカバナが「ブラジル=リオ」を作った結果です。首都は1960年からブラジリアです。リオは旧首都で、政治の中心ではありません。同じ系統で「出身はリオかサンパウロか」と聞くのも、26州+連邦区がある国を2都市に縮めた誤解です。

8. ブラジル人はみんなサンバsambaを踊り、国全体がカーニバル状態:リオのサンバ巨大パレードが日本のテレビに載り続けたため、「サンバ=羽根とタンガの乱舞」が国全体の日常に見えるようになりました。実際のサンバの中心は、少人数で輪になって奏でるホーダ・ジ・サンバ(roda de samba)の方が生活に近いです。カーニバル自体も州ごとに中身が違い、サルヴァドールはアシェ、他地域は別形式です。全員が踊れるわけでもありませんし、カーニバルが好きな人口は全体の1/3に過ぎません(註2)。加えて日本では、かつてのテレビがサンバとマンボ・メキシコ風衣装を混ぜて紹介したため、「テンガロンハット+マラカス=サンバ」という二次誤報まで生まれました。

9. フェイジョアーダfeijoadaは「奴隷が残飯で作った国民食」:黒豆と豚の部位を煮込む料理を「農場主が取った残りを奴隷が工夫した」と説明する話は、日本の紹介文でもよく出ます。しかし起源は単純な「奴隷の発明」ではなく、イベリア半島の豆と豚肉の煮込み(favadaファバーダなど)が、ブラジルで黒豆に置き換わったとする説が有力です。いまも水曜日・土曜日のランチという「特別な日の料理」であり、毎日の主食は普通の豆(フェイジョン)と米、arroz e feijãoです。物語としては強く、食の実態としては粗い説明です。

10. ファベーラfavela=都市全体が無法のスラム/入ったら必ず襲われる:リオの丘の上の密集住宅の映像が、ブラジル都市の全体像として流通しています。ファベーラ(近年はコムニダージcomunidadeと呼ばれることも多い)は確かにインフラ不足や組織犯罪の問題を抱える地区ですが、全国に1万を超える多様な居住地で、商店・学校・医療機関・住民組織もある生活空間です。「丘=即死」「市内は全部スラム」は、観光リスク情報と映画のイメージが合体した誇張です(註3)。危険な地区があることと、都市全体がそれであることは別です。

  • 註3:意外とブラジル人でもこの印象を持ってる人達が一定数いるのも事実。高い目の社会階層に住んでいるので社会の実態を知らない。

『当地に住んでいるとどうして?になるような話だけど、これらが外国からみたブラジルの一例のようですな。アマゾン関連は「関心は高いが、映像・冒険譚・古い探検記が先行して、現地の頻度や生態が伝わっていない」典型。場所の誤報は「リオに国を縮める」、文化の誤報は「祭りのハイライトを日常にする」形が多い。実在する要素を極端な頻度に引き伸ばし、勘違いになる。』

それでは勘違いのひとりごとです。勘違いが成立するのは、知識がゼロだからではありません。複雑な対象を、少数の強い印象で代用する圧縮が先に走るからです。人は全体を見るより、あとから思い出しやすい断片で全体を代表させます。ブラジルならサッカー、カーニバル、アマゾン、治安です。いずれも実在しますが、出現頻度、地理的分布、日常性は省略されます。これが第一の機制、代表性の歪みです。強い例が弱い例を飲み込み、例外が類型になります。距離が遠い対象ほどこの圧縮は荒くなり、直接経験が少ないほど、メディアの一場面が「国」になります。

第二は物語化です。「藪を棒で叩かないとオンサに襲われる」「ピラニアが牛を瞬時に骨にする」は、注意・行動・結果が一列になります。条件分岐「稀である、人を避ける、特定の水位や繁殖期に限る」は列を折るので、伝達に負けます。正しさより、因果が一本に見える話が残ります。探検記や映像はこの一本化を加速します。警告として完成している話ほど、訂正は「興ざめ」に聞こえます。

第三は媒体の選択圧です。映像と見出しは極端を選びます。リオのパレードは載り、少人数のホーダ・ジ・サンバは載りにくいです。丘のファベーラは載り、普通の街区は載りにくいです。残ったハイライトが「国のかたち」になります。発信側の悪意というより、目立つものの生存競争の結果です。受け手も、既に持っている型に合う話だけを拾い、合わない話は忘れます。確証バイアスは、新しい情報の入口で働きます(註4)。

第四は訂正の非対称です。型が一度入ると、反証は例外として処理されます。「観光客向けだ」「奥地では本当だ」と言えば核は残ります。勘違いの本体は個別事実の誤りというより、一般化の規則そのものです。事実を一つ足しても、規則が変わらなければ同じ話が再生産されます。社会的には、共有された型の方が会話のコストが低いです。正確さより、通じやすさが優先されます。

『勘違いを「無知」と呼ぶと対策を誤る。足りないのはデータ量ではなく、縮約を解除する手続きである。何が実在し、何が頻度の話かを分けること。機制に対抗するには、物語より条件を返すほかない。』

この様に、不用意に流通している情報、特にテレビに代表されるオールドメディアに載るようなモノは注意が必須でしょう。やらせが多いし。医療関係の情報も然りです。このコラムの25人の読者様には筆者がまたこの手の警告をやってる、ネタ切れか?と思われても仕方ないですかね。わざと勘違いさせる誤報(カッコ良く言うと「フェイクニュース」、はっきり言うと「嘘」)が蔓延している世の中です。トホホ…