ハレンチってエッチじゃないの?

By: Kazusei Akiyama, M.D.

June. Little bit foggy morning. São Paulo. Caju©2018.


2025年6月

ハレンチってエッチじゃないの?

いきなりですが、このコラムの25人の読者様、「ハレンチ」ってどう解釈されてますか?筆者は7割方はエッチ、つまり性的な意味合いをもつ言葉だと思ってましたが(註1)、なんかモヤモヤするのです。それでお勉強してみたら、やはり元々の概念と最近の用途ではギャップがあるのがモヤモヤの原因でした。「ハレンチ」は漢字で「破廉恥」と書き、「廉恥」が破られる、無くなる、壊れる、つまり「清らかで恥を知る心が失われる」ことを指します。広辞苑によると「廉恥」とは「心が清らかで、恥を知る心がある事」。したがって破廉恥とは恥を恥とも思わず平気でいる事、不正を平然と行う態度を意味します。でも最近は「恥を恐れない」といった意味合いで使われているようです。

  • 註1:「ハレンチ」が性的な意味合いを持つのは、刑法上の公然わいせつ罪やわいせつ物頒布等罪など、わいせつ行為に関連するイメージによるものと考えられる。

『お勉強を進めてみると、「恥」や「不正」の概念は東洋と西洋では随分違うのが分かるのだな。なので、今回も東西考、日本とブラジルの文化を比較しながら破廉恥の意味と現代社会での役割を考えていきたい。』

「破廉恥」という言葉は、道徳的または社会的な規範を著しく逸脱し、羞恥心を欠いた行為や態度を指します。この概念は、時代や地域によってその意味や社会的役割が異なり、日本では歴史的に「恥の文化」に根ざし、集団の秩序や礼節を保つ基盤でした。戦後の道徳教育で、公の場で大声を出す、性的な話題を公然と語る、露出度の高い服装などが「破廉恥」と非難されることがありました。しかし近年では、グローバル化や個人主義、インターネットの普及で価値観が多様化する現代では、「破廉恥」という言葉の効力や意義は揺らいでいると考えられます。性的少数者の権利の尊重、身体の自由、自己表現の多様性が社会的に認められつつあり、「破廉恥」とされた行為の一部が「個人の自由」として再評価される場面も増えているようです。

反面、現代の日本社会は依然として「空気を読む」「和を乱さない」といった同調圧力の文化が根強く残ってます。結果として、ある集団では自由とされる行動が、別の文脈では「破廉恥」とされるといった矛盾も生じます。たとえば、若者文化においては奇抜なファッションや過激な表現が受け入れられますが、高齢者層や保守的な地域社会では眉をひそめられることもあります。つまり、「破廉恥」という概念は一様ではなく、時代や立場、文脈によってその意味合いを変化させているわけです。

一方、ブラジルにおいては「破廉恥」に直接対応する語として「vergonha(恥)」や「sem vergonha(恥知らず)」などがありますが、文化的な意味合いは日本とは大きく異なります。ブラジルは多民族国家、多文化社会であり、ポルトガル植民地時代、先住民族、アフリカ系奴隷、欧州や東洋の移民の文化が融合し、個人主義と集団主義が混在する独特の価値観を持ちます。そのため、倫理観や公共空間での振る舞いに対する基準も多様になります。

ブラジルのカーニバル文化は、破廉恥の概念を考える上で興味深い事例です。カーニバルでは、社会的規範が一時的に緩和されます。普段はタブーとされる大胆な表現が許容され、露出度の高い衣装や派手な踊りが文化的祝祭をして容認されます。これは、破廉恥の概念が状況依存的であることを示しています。ただし、カーニバル外での同様の行為は、破廉恥とみなされる可能性があり、文化的文脈の重要性が分かります。一見、日本の保守的な目線から見ると「破廉恥」とされる行為が、ブラジルでは「解放」「祝祭」「自己表現」として評価されます。この違いは、国民性や宗教、気候、歴史的背景によるもので、ブラジルにおける「恥」の概念は日本ほど行動を抑制するものではありません。

『そんなブラジルでも腐敗や暴力、差別といった行為は、現代ブラジル社会において「不名誉」とされ、強い批判を浴びる。10年ほど前からサンパウロ市のパウリスタ通りで度々発生する大規模デモは、政治腐敗や社会的不正への抗議として、「恥知らず」な行為を糾弾する動きの好例だろう。』

日本とブラジル双方で、SNSの普及は破廉恥の概念に新たな次元を加えたと思います。個人の行動が即座に拡散され、破廉恥とみなされる行為が世界的に注目されるようになる一方、過剰な監視やキャンセルカルチャー(註2)は、個人の自由を制限し、対話を阻害するリスクを伴います。インターネットでは「バズる」こと、つまり話題になることが重要視され、刺激的で過激な言動が注目を集めやすいです。その中で、かつては「破廉恥」とされた行為が、むしろ「話題性」や「個性」として受容されるケースも増えているのが現状です。

  • 註2:キャンセルカルチャーとは、特定の人物や企業が不適切な発言や行動をした際に、SNSなどで糾弾し、不買運動やボイコットなどを呼びかけ、社会的に排除しようとする動き。「キャンセル」を叫び、切り捨てる行動からこのように呼ばれるようになった。2020年8月のひとりごと「物事の本質を曝露させたコロナかな。」で展開してます。

特に若年層では、「恥」を恐れずに自己表現を行うことが、成功や影響力につながることもあるとされてます。TikTokやInstagramでは、性的な要素や過激な発言がバイラル(註3)になる例が世界中で見られます。日本においても、そうした表現が商業的成功を収める一方で、炎上やバッシングといった形で「破廉恥」が再確認される場面もあります。ブラジルでは、ネット上の自由な表現が文化的に受け入れられやすい傾向がある一方で、政治的・宗教的な価値観との衝突も頻発してます。たとえば、LGBTQ+の表現に対する支持と反発の両方を引き起こし、公共の場での行動が物議を醸すこともあります。

『つまり、「破廉恥」の判断基準は、文化の中における価値観の対立を反映しているとも言えるのであろう。』

日本では、伝統的価値観と新しい自由の在り方がせめぎ合い、ブラジルでは多様性と宗教的保守性が複雑に絡み合っています。結局「破廉恥」という概念は、単なる道徳的評価を超え、社会における「正常」と「逸脱」の境界線を可視化する機能を持っていると思います。

『その境界線がものすごくあいまいになりつつあるけどね。そして今の社会、日本でもブラジルでも「破廉恥」だらけに見えますけど。25人の読者様にとっての「破廉恥」って、どんなものですか?』

  • 註3:viral、ウイルスの。情報やコンテンツがウイルス感染のように急速に広まる様子。